NIKKI

なんかお腹痛いなぁ…って思った時に書いてるブログ

隣のパウダーは白い

福岡に転勤になってはや1年が経とうとしているが、当初から恐れていたことが起きた。こんなに単純なことで悩んでいるのはなんだか申し訳ないし、そりゃ当たり前だろという話なのだが、スキーが出来ない。家からスキー場に行くとしても島根と広島の県境くらいまで行かなきゃ行けないし(3時間)、九州唯一のスキー場のくじゅうはオール人工雪みたいなもの。去年まで白馬や妙高のパウダーを食べ尽くしてきた僕からすれば、わざわざガソリン代やリフト券を買ってまで滑ろうなんて思えないのだ。

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けれども、先週の大雪のおかげで中国地方にもどっさりと雪が積もった。それもよく冷えたパウダースノーだ。これを逃さない手はないし、その辺りの雪山にも登ってみたかったから、さっそく山地図を眺めながら見当を付けていた。木がほとんどなくてお手軽に登れる深入山や、恐羅漢スキー場を起点としたサイドカントリーもいいかもしれない。かなり足を伸ばすことになるが、大山でガチバックカントリーをしてもいい。そうやって今週は火曜くらいからあれこれ悩んでいたんだけども、何の意味もなかった。

休日出勤

土曜日の今日は朝から夜までガッツリ仕事だった。午前9時、設計検証のために棒ヤスリでプラスチックを削ると、白い粉が服の上に舞い降りる。これもパウダーか。そう思いながら僕はCADを修正するほか無かった。

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20時頃、帰宅してから今日の深入山の登山記録などを見まわすと、楽しそうにバックカントリーをしていた報告が立ち並ぶ。「この地域でこんなに軽い雪はなかなかないですよ!」「来週からあったかくなるそうなので今のうちに来てみました!」そんな報告が視界に入る度に虚しくなってくる。去年の今頃は平日に有給取って滑りに行ってたのになぁ。白菜を切る力が思わず強まる。

湯気を吐く土鍋を眺めながらしばらく考えていると、そんなもんか、という気持ちが芽生えてくる。今煮込んでいるあごだし鍋も九州ならではのものだし、同じくスーパーで買ってきた鳥刺しだってここでしか食べれない。そもそも夏に潜った大分や鹿児島の海もここに転勤にならなければ出会わなかったわけで。長野にいたままでは、穴に潜むクエや後輩が釣ったブリを知ることは出来なかったんだよな。

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そもそも雪が無くったって、家にはTrekの自転車が2台あるし、Fenderのギターだってある。それに、先週は長野出張のついでで黒姫山に登っているしな。贅沢になりすぎて感覚がおかしくなっているのかもね。27歳独身貴族。この生活がいつまで続くのかは分からないが、滑れる滑れない程度でこんなに一喜一憂するのは年齢にそぐわないよな。自由の裏返しみたいなものか。日々痛感して、こういう生活とも時期におさらばしないとな、と考えるし、鍋を見ているだけで気持ちも落ち着いてくる位には大人になったんだけど、イクイノックスが引退した寂しさを超えるものは無いよな。

 

(パンサラッサも)

 

最近の個人的音楽動向

 

九州に引っ越して1ヶ月ほど経ったが、音楽系のバーが(人口比で)とても多いと感じる。僕が住んでいる小倉もそうだし、登山の帰りに寄った大分の街にもディープなバーがあった。イカの活き造りを食べた後に都町(金沢における片町、長野市における権藤的な)を歩いていると、ミュージックバーと書かれた看板を見つけた。それに引き寄せられるように階段を登り、重厚な扉を開けてみると、暖色系の薄明かりの中で何 何本ものギターが壁に立てかけられており、店の奥にはドラムセットとアンプが置かれているのが見えた。ガチじゃん、ここ。

客は僕1人で、しばらくヨボヨボなマスターと還暦ほどの細いおばちゃんと話していると、いかにも常連といったようなオッサンが入ってきた。

「新しいベース買っちゃったんだよね。マスター、これそのアンプで弾いてみてもいい?」

そう言って、オッサンはさっそく背負ってきたギターケースを開いてシールドをベースに刺した。店内にはライブハウスのような重低音が鳴り響き、そのベースやアンプが本物であることが伺えた。オッサンはいくつかのフレーズを弾き、マスターが褒め称えるというやりとりが数回あったのち、オッサンが「兄ちゃんもギター弾くなら一緒になんか弾こうよ」といきなりぶっ込んできた。内心「え?いいの?」という戸惑いと「弾けるもんなんてねぇぞ…」という恐怖を抱きつつも、せっかくなのでじゃあ、と目の前にあったストラトを貸していただいた。僕のコード弾きのレパートリーなんて数種類しかなくて、しかも確実にJ-POP的なアプローチが許されない今回に限っては、ナイルロジャースのI'm Coming Outか、ジョンメイヤーのWaiting On the World to Changeくらいしかない。とりあえず前者のカッティングフレーズを弾いてみると、オッサンが僕の手元を見ながらベースを合わせて弾いてきた。めっちゃすごい。そんで、楽しい。誰かと合わせて弾くなんて正直初めての体験だったから新鮮で、こんなにワクワクするものかとビビった。だが残念なことに、一貫性のあるプレイができない僕は、ちょこちょこミスってしまい、リズムがブレる。あぁ、日々の基礎練習の大切さはこういうところに出るんだな。もっと地道に練習せんといかんよな。楽しくて悔しい、なんとも不思議な気持ちだが、こんな体験がふらっと入ったバーで出来るなんてね。

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小倉にはGoogleで調べたところ、そういった様子のバーが数軒見つかった。どこに行こうか迷ったが、一番ディープそうな、扉の取手がギターのネックになっているバーに入ってみることにした。ネックを引いて店内に入ってみると、やはり常連の客が数人いて、若い僕を物珍しいそうな顔で見てきた。マスターはその人たちからひと席開けた椅子の前にコースターを置き、注文を聞く前に、「なんでここに来たの?普段何聴いてんの?」と質問してきた。面接かよ。

「いやー、扉のネックが気になっちゃって」

「ふーん、じゃあギター弾くんだ。で、何聴くの?」

「そうですね、ほんと趣味でゆるく弾いてるだけですけど…。普段聴いてるのは、ジョンメイヤーとかジミヘンとかそういうゴリゴリのロックも好きですし、R&Bだとプリンスとかディアンジェロも好きですね。」

舐められまいと必死に回答をしてみたところ、

「ジョンメイヤーか、良いの聴いとるな。その年でそんなんばっか聴いとって、自分友達おらんやろ?」

「確かに友達は少ないですけど…」

「そやろ?そんなシャツのボタン一番上まで閉めてそんな音楽聴いとる奴と心通じるやつなんか同世代におるわけないっちゃ。可哀想やし席移動してこっち来い!」

そうやって僕は常連ゾーンに吸収されてしまった。そこからはなぜそんな音楽を聴くようになったかの話や、シャツのボタンを一番上まで閉めるのはオシャレなのかどうなのかの話で盛り上がった。なんともマダムな感じのおばさんは「いいじゃない。彼、カッコいいし、最近はボタンを上まで閉めたほうがスッキリしておしゃれなのよ。」と何度もフォローをしてくれたが、マスターを始めとした汚ねえ親父連中は「そのくるっとしたパーマ?みたいな髪型も友達いなさそうだよな、ハハハッ!」と高笑いを辞めなかった。そして、テンションが上がりきったマスターはアコギを膝に抱えて急に音を鳴らし始め、その繊細なストロークからジミヘンのLittle Wingを奏でた。上手いし、音もいい。相当昔から弾きこんだ曲なんだろうし、ギターもギブソンのビンテージ物なんだろうか。まあ、とにかく渋くてカッコいい。そうして僕は上機嫌になったマスターと常連たちに肩を組まれ、次なるミュージックバーへと連行されていった。解放されたのは深夜3時のことだった。

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名古屋・大阪とTHE 1975のライブに行った。チケットをだいぶ前に買っていたのを忘れていたせいで、直前になってからいろんな人に一緒に行こうと声を掛けたが、結局1人で行くことになった。あのオッサンたちに知られたらめちゃくちゃバカにされそうだ。あのエレクトリックかつロックな音はライブだとどういう風に聴こえるんだろうか、そして彼らはどういう処理・アレンジをしてライブをするんだろうか。それが気になって2回もライブを見に行くことにした(と思う。半年前の自分が。)

実際聞いてみると、やはり音(特にベース・サックス)には迫力があったし、Sincerity Is Scaryでのリズムのもたれを生み出すドラムの演奏はとても良かった。けれども、というか、しょうがないところではあるんだけど、同期音源と合わせるためにその場限りでのアドリブとかそういうのは基本的にはなかった。なんというか、ここ最近のバーでの触れ合いだとか、ジョンメイヤーのプレイへの崇拝などもあり、客の反応やその時のメンバーのノリに合わせたギターのプレイとかがないと面白くないよなぁ〜と思ってしまう。

そういう自分の傾向を考えるに、最近は曲というよりもギターという楽器をもっと聴こうとしているんだろうな。競馬というレースを見るよりも、イクイノックスやリバティアイランドといった馬を見る方が楽しみになっているみたいに。

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エロの真髄

 

結局の所、女子アナに思える。それもテレ朝などのキー局ではなく、ローカル局の三十代の女子アナだ。

僕の住んでいる長野県では、月一ほどのペースでゴールデンタイムに長野の美味しいお店を地元局のアナウンサーが巡る番組が放映されている。これが案外面白い、という訳ではないのだが、他の局はクイズ番組ばかりで興味もないし、家の近くの店でも紹介されないかな、と思いながら毎回最後まで観てしまうのだ。この番組を見始めた頃は、ご飯の特集ばかりでありきたりな構成だったのだが、最近は女子アナが温泉に入るようになり、少しお色気路線に走り出したのだ。ここまではどの地方都市でもよくある光景だと思うのだが、この番組のプロデューサーには、趣きがある。普通、温泉に入ってレポートをするのは入社したての若手女子アナの方が視聴率も伸びると思うのだが、なぜか三十代中盤くらいの中堅どころの女子アナばかりが風呂に入らされている。彼女らは淡々とレポートしながらも、

「え?なんで私が? もっと若い子の方が需要あるんじゃないの?」

という戸惑いの顔を隠すように湯に浸かり、一生懸命お湯の心地良さを伝えている。そのレポートには安定感があり、ベテランの風格が漂っているのだが、その奥には初々しい恥じらいも見え隠れしており、それがエロとなって滲み出ているのだ。

キー局のアナウンサーのように、欠点のない美貌ではないところも、また味わいがある。その辺のスーパー(ツルヤ)で買い物してそう感がリアリティを増幅させているのだ。普通にエノキを2パック買っていそうだし、柴犬と何かのミックス犬を飼って、「徳次郎」のような名前を付けてそうだ。たぶんディレクターからは、

「まだ結婚しないの〜?そろそろ貰ってくれる人いなくなっちゃうよ〜」

とか言われてそうだし、家で一人で鍋でも食べながら、そういう何気ない一言を踏みにじるかのようにスーパードライをガブ飲みしてそうだ。

僕は、心底からそういうタイプの女性が好きなのだが、結局のところエロとは想像だ。急に全裸の女性が目の前に現れたとしても興奮はしないけども、見えるか見えないかギリギリの短いスカートを履いたギャルや、胸の輪郭を強調するかのようなセーターを着ているOLを見かけると、金の玉が思わず光る。だから、コスプレ物のAVは永久に不滅だし、マジックミラー号は今日もどこかで走り続ける。

そんなことを考えるに、おそらく僕は三十代の女子アナというよりも、その日常生活が想像できるような、そういう女性のバスタオル姿に興奮しているに過ぎない。だから、特定女子アナのファンになることもないし、仮にAVデビューしたとしても買うことはないだろう。サンプル動画だけは一応見ておくけど。

この理論を応用するに、セックスレスの夫婦というのは想像力の欠如なのだ。男というものは(女は知らんけど)悲しいことに、既に知ってしまったエロについての興味は、反比例のように失っていく。それ故に、何年も一緒に暮らしている女性に対しては、服を着ていようと全裸になろうと金の玉の光り具合には関係がないのだ。

実際に、大学時代に二年ほど付き合った彼女と半同棲生活になったとき、我が玉は黄金の輝きを失っていた。澱んだビー玉のようだった。

「そういえば今週、一回もしてないじゃん」

そんな彼女の言葉がチクリと刺さったのだが、肝心の竿はピクリとも動かなかった。

そしてその時、僕は彼女に背を向けながら誓ったのだ。この理論を打破できる、セックスレス解消理論を構築できるまでは結婚しないぞ、と。二十二歳の時だった。

それから四年後の今、僕は三十代の女子アナに興奮してばかりで、一向に進めないままでいる。

 

スキー場での雑感

この冬はほんとよくスキー場に行っているのだが、ゲレンデというものは本当に疲れる。それは僕がふかふかのパウダーばかりを狙っているせいなのだが、降雪予報やリフトの運行状況、混雑具合などを加味して一番良いであろうスキー場に行き、リフト待ちをし、他の人の滑った跡がないようなところを選んで滑り、パウダーが無くなる前に忙しなく昇降を繰り返すのはやっぱり疲れるものだ。だいたいよく考えてみれば、僕がパウダー(非圧雪)やツリーランにハマったきっかけはゲレンデではないし、タダで誰もいない場所で好きなように滑るのが楽しかっただけに過ぎない。今シーズンに入ってからはバックカントリーでの滑りの上達のためにスキー場には頻繁に行くようにしていたが、なんだかもうそれもめんどくさくなってきた。そもそも人が滑った跡(ちょっと硬いし段差もあるし)を滑る技術と全くの新雪を滑る技術は違う気がするし、いくらゲレンデで上手くなったところで、安全第一の山でそれができるかっていうと、そうともいかないだろう(最低限はゲレンデで鍛えなきゃいけないとは思うが)。あとはなんといっても、実際のバックカントリーに行ってスケールの大きい自然地形の中を滑っていると、スキー場という人工的に用意された環境と安全が確保された状況で滑らざるを得ないのは面白味がない。別にスリルを求めて山に行っているわけではないんだけれど、下山した時の達成感だとか、地図と実際の地形を見ながらルートを考えている時の不安とワクワクの入り混じった気持ちだとか、結局はそういうもので僕は満たされているんだな、とゲレンデの荒れたパウダーを滑るほど実感する。あと金もないし。

まあ今のところはこんなことを考えているのだが、来月北海道に行った時にはどう思うのだろう。基本は羊蹄山でのバックカントリーを中心にするつもりだが、もちろんゲレンデも滑ってはみたい。そして、その時の気持ち次第で僕が数年後、どこに住んでいるのかは結構変わってくるのかもしれないな、と思う。

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最近グッときた曲たち

 

なんだか最近は良くも悪くも考え事をすることが多く、もやっとした日々が続いているので好きな音楽のことでも書いて気を紛らわせようかと思います。それにしても、考え事してるときに限って中途半端に興味をそそられるYouTubeの動画を見つけてしまうのは何なんですかね。今日は「千代の富士の超攻撃型速攻相撲」というタイトルの動画を見てしまいました。。

 

海辺のレストラン / サニーデイサービス 

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サニーデイがこの曲みたいな吹っ切れたロックンロールをやってるのを見ると、こんなおじさんになりてえなぁ、とつくづく思う。ベタベタのペンタトニックのフレーズとシンプルなドラムとベースの構成がもやっとする頭の中にグッとくるね!僕も50歳になってレスポールを弾いて「海辺のレストランでカレーでも食べよう」って歌詞を書けるようになりたいな。

 

ほれちゃった / CHAI

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この曲もシンプルな構成だけど、一個一個の音が際立っててめちゃかっこいい。なんかこういう曲こそ無性にリピートしたくなるんよね。声も歌詞も可愛いし!

 

Daddy's Diddies / チャールズ・ステップニー

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誰か知らんけどこの曲だけ何回も聴いてる。最初聞いた時は古そうやなーって思ったけども、意外にも2022年リリースの曲。歌詞は特になくて、ウォ⤴︎フフ〜って囁いてるのがほとんどだけど、それがクセになる。今年はこういう曲をもっと見つけていきたいなぁ。

 

Simple Step / Vulfpeck

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ずいぶん前から楽しみにしていたVulfpeckの新アルバムから。これぞVulfって感じの無駄を省いた構成に、熱めのAntwaunのボーカルはやっぱり相性がいいよね。それにしても今作のサウナ推しは何なんだ。彼らは日本でサウナが流行ってることを知ってんのか??

 

Never Gonna Be Alone / Jacob Collier

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Apple Musicの新作リストにジェイコブ・コリアーのこの曲があったらからとりあえず聴いてみたら、間奏のギターがめちゃくちゃいいのよ。なんというかジョンメイヤーっぽくて、ジェイコブ・コリアーもこういうフレーズ弾くんや意外やな、と思ってYouTubeでこの曲のライブ動画探して見てみたら、まさかのゲストギタリストとしてジョンメイヤーが弾いていたという。。改めてジョンメイヤーが唯一無二のプレイヤーだということを思い知りました。

 

Never Moved / Tom Misch

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朝の目覚まし代わりにこの曲を聴きがち。冬の朝って雰囲気があるのかな。それにしてもトムミッシュもそうだし、ジョンメイヤーもそうなんだけど、めちゃくちゃギター上手い人って必要以上にテクニックを見せびらかすようなことはしないし、一つのフレーズに使う音数も最小限にできるのがほんとすごいよなぁ。音の強弱とかピッキングのニュアンスとか、あとは音を鳴らしていない間の拍の使い方とか。年末年始に実家に帰ってギターを弾いていたら、母から「詰め込みすぎて迷走しとるわ!もっと音数絞って弾け!」と怒られたのを思い出す。でも、足し算ができるからこそ彼らは引き算が出来るわけでして。。何にせよ練習って大事ですねって話です。

 

ぬい / 君島大空

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最後です。この曲とこの曲が入ってるアルバム(映蔕する煙)を紹介したくて、この記事書いたようなもんです。いやぁ、久々に心の底からグッとくる曲が来たね。メロディーも歌詞もどっちも突き刺さるし、何回も何回も聴いても新鮮味は失われない。聴くごとに歌詞の解釈も変わっていくしね。君島さんはインタビューで消費されていくのが怖い、そうならないアルバムを作りたい、と言っていたけど、このアルバムが残らずに消費されてしまうようなら、いわゆるJ-Popというジャンルは衰退していくだろうね。とりあえず僕はそんくらいすごいアルバムだと思います。ぜひみなさん聴いてみてくださいませ!

 

(千代の富士の取組も素晴らしい)

人生の交差地点、天皇賞(秋)

 

コロナ禍で無観客になっていた時期を除いて、競馬を始めてからは必ず天皇賞(秋)は現地で観戦するようにしている。最も盛り上がるダービーや有馬記念は行ったり行かなかったりなのだが、この天皇賞(秋)だけは、必ず行くと決めているのだ。

そんな話を会社の競馬おじさんすると、「なんで?有馬記念の方がいいじゃん」と聞かれるのだが、時期や条件的に最も強い馬が集まりやすく、強い馬が強い競馬をして勝つような面白いレースになるからです。という僕の答えは半分正解で、もう半分の本音は別のところにある。

 


今年の天皇賞が行われる週末、僕は土曜日から競馬場に入り浸っていた。ビールを片手に紙馬券を握りしめているのだが、馬券を買った馬はスタートで出遅れ、最後の直線ではテレビカメラにすら映らない。それでもめげずに次のレースの予想をし、すぐさま券売機に三百円を投げ入れる。そしてその動作を、十五分間隔で繰り返す。まるで、大学時代に戻ったかのようだった。

就職してからは、競馬場には誰かと一緒に行くことがほとんどで、馬券の当たり外れを面白おかしく話せる人が隣にいた。けれども、今週末に限っては一緒に行くはずだった友人が結婚したばかりのドタバタで、急遽一人きりになってしまった。行きの特急電車の中では、それも悪くはないな、と思っていたのだが、いざこうやって十五分に一回、三百円を失うマシーンになってみると、心も冷たくなる。

やっていることは大学時代と同じなのに、どうしてこんなに楽しくないのだろう。的中率が低いから?いや、昔の方がもっと酷かった。ダート1400mの最後の直線、単勝で賭けていた圧倒的一番人気の馬が馬群から抜け出せないのを見下ろして、冷静に分析を始めていた。

 


バイトで稼いだ金を馬に貢いでいたあの頃、競馬場には酒くさいジジイ達がいた。お互いの名前もしらないで、いつもの机に、いつものメンバーで、いつものように馬券を外しているジジイたちが。毎週末のように自転車で通っていると、銀だこの近くにはハンチング帽を被った集団が、ケンタッキーの近くにはワンカップ大関を持った集団が、というようにそれぞれの縄張りを認識できるまでになっていた。ハンチング帽達は、かなり真剣に競馬に取り組んでいるようで、赤ペンを耳に掛け、最後の直線に入ると、「差せ」だとか「そのまま」だとか「戸崎!」だとかの声を上げていた。反対に、ワンカップ大関達は比較的穏やかな集団で、お互いの話に夢中になって馬券を買いそびれている姿をよく目にしていた。そんな中、ワンカップ大関はたまに話しかけてくることがあった。

「あんちゃん、何番の馬買ったんや?」

「三番です。」

「おお、ワシも同じや。あんちゃん頭ええのう。どこの大学や?」

「すぐ近くの大学ですけど。」

「おお、やっぱ頭ええんやな!ワシは中央大や!昔の中央大といったらな、今と違ってな…(略)」

「はぁ。」

そんな話を聴いている最中、三番の馬は出遅れ、馬群の中から抜け出せずに終わった。ワンカップ大関は、直線を迎える前にその場を離れ、持ち場の机で他の大関達と談笑していた。速い逃げ足だった。

本当にどうでもいいやり取りなのだが、あれから数年経った今でも昨日のことのように思い出せる。上手く言葉に出来ないし、する必要もないのだが、あれが学生時代で一番の社会勉強だったように思う。

一番人気だった馬券をゴミ箱に捨てて、あの時も同じようなレースだったよな、と懐かしくなった。そういえば、あのジジイ達はどこに行ったのだろうか。ケンタッキーはもう無くなってしまったし、銀だこも、若いカップルや家族連ればかりで、とてもあのジジイ達が入り込む余地なんてない。他の人が少なそうな場所も探してはみたのだが、ただハンチング帽を被っているだけのオジサンだけで、ましてやワンカップ大関を飲んでいる人などいなかった。きっと、コロナの影響で競馬場に入るのにもネット予約が必要になったせいで、来れなくなったのだろう。寂しいけれど、必然。そして、その寂しさが、僕が競馬を楽しめていない理由とイコールだったことにやっと気づいた。

ちょうど四年前の天皇賞(秋)。競馬初心者だった僕は、直前までどの馬に賭けるべきか悩んでいた。競馬場内をふらふらと歩きながら考えていると、ジジイ達の声が耳に入ってくる。

「ワシはスワーヴリチャードや」

「ワシもや!」

「スワーヴ以外、有り得ん!」

目を向けると、ハンチング帽達だった。当時、スワーヴリチャードは一番人気。結局、上位人気で決着が好きな彼らが推すのも納得だ。他の意見も聞いてみようと、ケンタッキーに向かうと、ちゃんとワンカップ達もいた。彼らの声に耳を傾けると、マカヒキ単勝、という単語がよく聞こえてきた。なるほど。単勝一本勝負な彼らにとって、三番人気のマカヒキが来ると、なかなかおいしい思いができる。両者の話を聞いた僕は、間を取って、二番人気のレイデオロに賭けることにした。

レースは、六番人気のキセキが逃げ、他の馬達が追う展開。膠着した展開のなか、四コーナーを回ってキセキが三馬身ほどのリードを保ったまま、最後の直線に突入。レイデオロは五番手あたりから必死に追い出すが、なかなか差は縮まらない。単勝馬券を強く握りはするのだが、残り四百メートルを過ぎたあたりから、目はキセキの走りに惚れてしまった。結局、ゴール間近でレイデオロがキセキを差し切り、騎手のルメールがガッツポーズを炸裂させるのだが、馬券が的中した喜びよりも、一円も馬券を買っていないキセキへの驚きが優っていた。

そして、今年の天皇賞(秋)。僕の本命は一番人気のイクイノックス。春の日本ダービーでも本命にしていたのだが、僅かに届かずの二着。あの直線の続きに期待して、今回も本命に推した。

大歓声のファンファーレを終え、ゲートが開かれると、七番人気のパンサラッサが逃げる。あの時のキセキのように、いや、それ以上に逃げる。後続との差はみるみる広がり、場内にどよめきが起こる。十馬身以上のリードを保ったまま、最後の直線に突入。必死で逃げるパンサラッサに、後方からイクイノックスが猛追。「行けー!」と叫ぶが、それがどちらへの声なのかは、もう分からない。だが、ちょうど僕の目の前に差し掛かったとき、イクイノックスがパンサラッサを交わす。そして、あの日と同じように騎手のルメールがガッツポーズを決める。その直後から、僕の心の中は、ぐちゃぐちゃにリフレインを繰り返していた。

 


その日の夜、東京に住んでいる昔の友人達と久しぶりに飲んだ。結婚式場探しが大変だとか、部活の顧問をするのが大変だとか、転職がどうだとか。四年前とは全く違う話題で盛り上がっているのが、おかしく思えた。

キセキやレイデオロワンカップ大関達がもう競馬場にはいないように、僕たちの立場も環境も、あの頃とは全く違う。無責任極まりなく勝手に夢を語っていた僕達は、もういない。だけども、記憶に残る逃げ馬がいたり、ルメールのガッツポーズのように、変わらないものもある。そして、それに救われる自分がいた。

だから行ったんだな、天皇賞(秋)

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裏路地歩いて菊花賞

松本城の路地を深く入った所に、なわて通りという飲み屋街がある。飲み屋街といっても、赤提灯を提げた小さいお店が数軒並んでいるくらいで、松本駅前の飲み屋街と比べてればずっと寂しく、人はほとんど歩いていない。秋華賞も終わり、特にやることもなかった土曜日の夜、松本駅からふらふらと歩いていると、吸い込まれるようにその通りに入ってしまった。こういうディープなところ、好きなんだよね。

いい店がないか物色していると、二、三分もしないうちに行き止まりになった。通り抜けができないタイプの通りって通りじゃなくね?と思いつつ、しょうがないので一番奥のお店に入った。

外からは一見、純喫茶の店のようにも見えたのだが、中身はゴリゴリの飲み屋で、ホワイトボードに書かれたメニューを見てみると、もつ煮、餃子、ウインナー炒め、納豆オムレツと、二軒目にもってこいなものが書かれていた。腹が減っていたので、餃子ともつ煮、生ビールを注文する。店員は、そろそろ還暦を迎えそうな、細いおばちゃんが一人で切り盛りをしていた。店内ではローカルなFMラジオが流れ、雑多な厨房でおばちゃんがさっそく片栗粉を溶いている。壁には色褪せたポスターや、祭りで子供たちが着けているようなお面が所狭しと並んでいて、まるで実写版深夜食堂のような店だった。

お通しと生ビールを空にすると同時に、もつ煮と餃子がやってきた。もう一杯、生を注文する。餃子はいかにも手作り、といった見た目で、冷凍餃子の味とはまた違う、この雰囲気に相応しい味がした。もつ煮もチェーン店のような味が濃すぎるものではなく、ちょうどいいペースでビールが飲めるものだった。

調理や洗い物が落ち着いた頃、「あなたどこから来たの?」と聞かれた。「住んでいるのはこの近くですよ。」と答えると、「あら、そうなの。でっかいリュック背負ってたから旅行の人かと思った。」「最近の夜は冷えるから、ダウンジャケットとか入っているだけですよ。」「そうね、最近冷えてきたもんね。」と、尻すぼみな会話が続いた。初対面でそんな話すことないよな、スナックでもあるまいし。と思っていると、「どうしてこんな奥の変な店に入ってきちゃったの?」とまた質問された。変な店の自覚はあるんだな、と感心しつつも「適当に歩いていたら行き止まりになってて。それでなんとなく入ってみたんです。」と答えると、「あら、そうなのね。」とこれ以上会話が続かないような返事が返ってきた。これでは面白くないなぁ、と「それと、今日の競馬でちょっとだけ勝って…」と付け加えると、「競馬ッ!!」と目を見開いて食いついてきた。「明日、菊花賞じゃない。何買うの?」「うーん、アスクビクターモアかなぁ。」「私はガイアフォース。」今までの他人行儀が嘘のように、会話が進む。そこからは競馬談義に花を咲かせ、思い出のレースだとか、馬券の買い方の話なんかをした。僕が、菊花賞で好走した馬は次の有馬記念でも馬券に絡みやすいですよ。と言うと、おばちゃんは直ぐに僕の言葉を紙に書き、すでにメモだらけの冷蔵庫に貼り付けた。なんて素直な人なんだろう。他のたくさんのメモも、全部競馬のことな気がしてきた。

そんなやりとりをしているうちに、店には常連さんがやってきて、あそこのラーメン屋が美味いだとか不味いだとかの話になった。

少し薄暗いけども、中は暖かい。こういうアットホームな飲み屋、(その分排他的かもしれないが)家の近くに一軒あると、それだけで週末が楽しみになる。いい店に出会えてよかった、としみじみしながら、店を出た。別れ際に、菊花賞で儲けたお金でまた来ますよ!と言った時のおばちゃんの笑顔がとても良かった。

結局、菊花賞の馬券は、僕とおばちゃんの二人とも外れた。もし、僕とおばちゃんの予想を融合させていれば…。いづれにせよ、多大なるダメージを負った僕は、気軽に飲み歩けない体になってしまった。なんとか次の天皇賞(秋)で的中させ、またおばちゃんに会いに行かなくては。

 

(本命は来るけど、紐の馬はこない。得意技です。おばちゃんはその逆。)