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NIKKI

なんかお腹痛いなぁ…って思った時に書いてるブログ

うみべの女の子を読んで

 

 

僕は浅野いにおのファンである。ソラニン、おやふみプンプン、デデデデを読んでハマった。けれどもまだまだ読んだことのない作品も多いので、今回はうみべの女の子という作品を読んで見た。

で、感想を書こうと思うけれど、どうしてもネタバレは必須になるし、ストーリーをいちいち説明すんのも面倒いしそんなの誰も読まないだろって思う。だからうみべの女の子を読んで僕が感じたこと、考えたことを一方的に書いていきたいと思う。(そっちの方が誰も読まねーよ!ってツッコミは的を得てはいるが死ね)

 

 

 

 

 

僕自身、そんなに濃密な恋愛もしたことはないからよく分かんないのだが、恋愛感情を持って人を好きになるということはなかなかに難しいことだと思う。例えば僕には呆れるほど仲の良い友人が数人いるが、彼らとキスしたいか?一緒にデートしたいか?同棲したいか?セックスしたいか?なんて言われたらゲロ吐きながらNO!!!!と叫ぶ。それは彼らが男だってのも勿論だが、仮に女だったとしても無理だ。キモすぎる。

 

 

つまり僕が言いたいことは日本語メンドクセー!ってことだ。英語だったらきっちりlikeとloveで分類されてんのに、日本語は 好き だけだぞ!!せいぜい愛してるなんて言葉もあるけど、英語だったらlikeはloveにはならない。でも日本語は好きは愛してるにもなるんだぞ!!メンドくさい!死ねや!!

 

 

ってなわけで、結局はその大半は日本語の構造上のせいでもあるがlikeとloveの境目を見誤ってしまい、恋に失望したり、無意味な恋に落ちることだってある。特に学生なんかに多いだろう。決して心から恋してるわけではなく、恋してる自分が好きなだけの人とか。そういうのは大っ嫌いだ!なぜならぼくはスーパーピュアボーイだからだ。決して嫉妬心があるとかそういう意味じゃないんだぞ…!!

 

 

 

 

 

人を恋愛的な意味合いで好きになる、なんてのは都合のいい考えだな、とも僕は思う。人間に限らず動物は本能的にセックスをしなきゃいけない。コンドームをつけたとしても。人間だけが文化が発達し社会性や協調性を持ったとき、セックスは以前より深い意味を持った、ある意味で汚らわしい行為になってしまったのだろう。なぜならコンドームをつけるから。

 

セックスが神秘的なのは子供を創るからで、そういった意味を持たないコンドーム付きのセックスなんて全く神秘的ではなくなったのだ。けれども人は誰しもが自分を肯定したいものである。だから恋愛なんて上手な言葉を使ってコンドーム付きのセックスも違う意味で神秘的にしたかったのだ。なんとワガママな奴らなんだ!

 

 

 

だからあんまり恋に振り回されるのもよくないぞって言いたい。人と人が深く関わっていく上でぶつかり合うことなんて星の数ほどある。それでも深く関わりたいなら、良い意味で割り切って、そして過剰な期待は持たずに楽しんでいくのが一番じゃないだろうか。それはきっと世間一般での恋愛の定義からは外れるだろうけど、僕の中では十分恋愛の定義内に収まっている。だから僕の考えに共感する女の子!僕と付き合って!毎日孤独で寂しいんだよ!!あー、恋したい!!

(母親からのLINEを無視しながら執筆)

Wi-Fi回線より祈りを込めて

 

死んだ。Instagramでずっと見守ってきた猫が死んだ。彼女は元野良猫でこれまで暮らしてきたのだが、晩年に現在の飼い主に拾われ、その一生を終えた。色もはっきり言ってしまえば汚い茶色で、毛並みもまったく整っていない。醜い猫だ。けれども毎朝、Instagramで更新される彼女の生存報告にほっとする自分もいた。理由はわからないけど。

 

 

 

 

亡くなった際に飼い主の報告の文章に少し気になるところがあった。

「○○ちゃんはお空に還りました。」

最初は何気なく見過ごしていたけれど、よくよく考えれば変だな、と思うところがある。もちろん宗教観にもよるのだが、少なくともこの日本では人間や動物(野菜とかわからんが)が死ぬとその魂のゆくえは知らずとも、とりあえず空に昇っとけ精神があると思う。

芥川龍之介の小説、蜘蛛の糸なんて最高の代表例ではあるが、やはりみんなどこかで天国は上、地獄は下って概念があるんだろう。

 

 

 

そもそも天国とか地獄とか信じてねーし、無宗教だしって思ってる人もさすがに愛猫が亡くなれば空を多少なりとも見上げんじゃね?って思う。そう考えれば日本ってのは宗教が意識せずとも徹底された国なんだろう。きっとインド人ならガンジス川に祈りを捧げるんだろうし。

 

 

 

そんなことを考えていたら、この前帰省したときに祖母に言われた言葉を思い出した。

「わたしが死んだ時は天国にも地獄にも行かず、あんたに憑依してやる」

何気ない談笑の中で突然これを言われて背筋が凍ったが、よくよく考えれば80過ぎたばあさんのくせに柔軟な思想してんなー、と思う。

 

 

 

そんなばあさんに見習って僕が死んだら僕はどうしようか、とか考えてみる。死ぬ時のシチュエーション。病死、殺害される、安楽死、憤死。そもそも死んだらやっぱり僕って概念は完全に消え去るのだろうか。色んなことを想像するけど、きっと僕の体から僕の魂が消えたとしてもばあさんの魂は粘り強く残ってんだろうなぁ、なんて思う。よって僕は永久に不死身である。

 

 

 

 

 

死ぬのは痛そうだし、怖いし単純に嫌だけど死んだらどうしよう、なんて自由に考えられれば少しは毎日楽しくなるかなって思う。Instagramの死んだ猫は今ごろ何してんだろうな。。ニンジンとかに生まれ変わってんのかもね。

(ガスタービンの講義中に最前列で執筆) 

 

僕のサークルについて

 

 

今までにいろんなことをこのブログやツイッターなどのインターネット上に書いてきた。旅行にいったこととか、やるせない気持ちだったり、ブスについても書いたりもした。だけど今日書くブログは現時点で一番書きたい内容だし、同時に書くことを躊躇する内容なのでスムーズに読みやすく書けるかは保障できない。あくまで自分へ区切りをつけるためという、とても個人的かつ内省的な内容となることを予め断っておきたい。

 

 

 

僕はこれまで学生フォーミュラというサークルで活動していた。まぁ、なんのサークルか分からない人も多いと思うので軽く説明しておくと、フォーミュラカーを設計・製作・走行させ各大学で競うサークルである。いわば、学生の作るF1と言ったところだろうか。これまで何も作ったことのない、受験勉強しかしてこなかった人間が突然レーシングカーの設計を行い、自分が設計したものを工場で鉄とかアルミとか削ったり溶接しながら製作し、組み立てる。そして速いラップタイムを追求し、テスト走行を重ね、大会に出場する。こうやって文章にするとすごくかっこいいし魅力を感じるけれど、実際にやってみるとめちゃくちゃ大変だ。忙しい時期になると徹夜なんて当たり前だし、精神崩壊も珍しくない。しかも、クルマを作るだけでなく製造工程と図面を書いて必要コストを計算した1000ページに及ぶレポートの作成、設計の注目点について記述したデザインレポートの作成、さらには製作したクルマを世の中に販売することを想定したプレゼンテーションも行わなければならない。正直言って、暇なときなんてないのだ。ひとつひとつを説明していくと日が暮れてしまうので、僕がこのサークルを引退するにあたって感じたこと、書きたいことを項目別に書いていきたいと思う。

 

 

 

 

 

 

~ものづくりに関して~

高校まではものづくりなんてものには縁はなかったし、どちらかというと苦手な方だった。今でも苦手なんだけれど笑。僕はこのサークルでサスペンション担当としてサスペンション機構の設計・製作に励んできた。最初はCADソフトを使ってPC上でいろんな形状のものを作れるのが面白かった。巻き糞とか作ってた記憶がある。

 

そうやって遊んでいるうちは楽しいのだけれどやっぱり部品を設計するとなると吐くほどキツイ。想定される荷重に耐えられるよう何度もFEM解析を行い、修正していく。サスペンションのレイアウトについてもリンク機構やダンパーの位置を1mmずつずらしながら他の部品との干渉を回避し、最も良い性能を発揮できるように配置していかないといけない。何かの性能を上げれば他の部分の性能は下がってしまう。わかりやすい例だと使用するパイプの径を大きくすれば剛性は高くなるが質量は重くなってしまう。(断面二次極モーメントを考慮すればそうとも限らない。あくまで中実丸棒を想定した話。) そんなジレンマの中でわけがわからないまま設計を行い、迫りくる納期と戦っていた。自分で言うのもなんだが、割と要領は悪くはなかったので早い段階で見切りをつけ納期重視でやっていたので苦しみは少なかった。

 

 

で、設計をすればそれを作らないといけない。図工の工作なんかとは大違いである。大学内の工場を利用して部品を製作していく。素人にはいったい何の部品なのか想像もできないような部品を作る。作りまくる。僕はそれらの部品をつなぎあわせる溶接を担当していた。なぜか最初から上手くて少しの練習しかせずに高い精度の溶接ができていたので、これに関しては純粋に楽しかった。もし何か溶接してほしいものがあればいつでも言ってほしい。喜んでやります笑。

 

 

部品を製作する上で何より大切なのは精度。溶接でも溶接ひずみを想定して冶具を設計しないといけないし(溶接すると熱の影響で部品が数mm変形してしまうので、冷めるまで固定しておく機構が必要なのである)、旋盤やフライス盤を使用した部品は基本的には1mm以上の製作誤差は話にならない。特にベアリングとかを圧入する部品の内径に関してはうろ覚えだけど0.002mm以下の誤差に収めないといけない、実際に、誤差が大きくなってしまうとベアリングのボールが渋くなってしまって使い物にならないのだ。

 

 

まぁ、いろいろと大変なのだがやっぱりここでも納期ってやつが大変厄介になってくる。決められた期日までにクルマを完成させることがどんなに大変なのか、そして最も体に効くエナジードリンクは何なのか、学んだことは非常に多いけどその分挫折と絶望も味わった。初めて本気で死にたいと思った。毎日、毎日サークルを辞めたいと思いながら部品を作ってた。完成したときの喜びなんてものより、疲労感と納期を守れなかった虚無感に襲われていた。二度とやりたくないので、後輩にはぜひとも頑張って欲しい。

 

 

 

 

~壊れることについて~

ここでは精神や人格の破壊ではなくクルマの破壊について書きたいと思う。

やっぱり、経験未熟な学生によって作られたクルマの信頼性なんてものほとんどない。大抵は壊れるものである。故障はエンジン系に多発するものだが、僕の担当したサスペンションでも起こりまくった。ダンパーからの液漏れや走行中にタイヤがもげたりもした。それはつまり製作のやり直しを意味する。死である。壊れたものを治すのは不可能ではないが、何より壊れているのは自分の心である。自分の設計が正しくなかったこと、製造過程に不備があったこと、未熟であること、色んな事実と責任が突き付けられショック状態に陥る。幸い、僕は一日寝れば復活するタイプなので立ち直れるが、中にはうつ病になってそのまま学校までもリタイアする人もいる。人生まで壊れてしまうのは良くないよ。

壊れては修復を繰り返した結果、多少のことでは動じなくなったし、かなりタフな人間になれた気はする。その代償に僕の目は大抵死んでいるのだけれど。

 

 

 

 

 

 

~人間関係について~

最後にこの項目について書いて終わりにしたいと思う。というか一番書きたかった項目である。

まず最初に、このサークルを本気でやるならばチームの仲間とは友達関係ではいられなくなる。設計や製作時に互いの主張がぶつかり合い、仲が悪くなる。さらには誰かが失敗したときに必要以上に非難してくるやつもいて人を信じる気持ちなんてものは失われる。結果的にはドライで業務上の関係みたいなものに近づいていく。

特に僕はアイデアを出したり、人に指示をだすことも多かったから失敗した時には非難を浴びた。自分は何もしないくせに人が失敗したときにだけ文句言ってくるやつとかにはマジで殺意が芽生えた。家の壁とか殴りまくる&食べまくるでストレス発散してたけど、結果的に太ってしまった。

 

複雑な人間関係と形式上の信頼関係の中でさらに僕の目は死んでいった。前よりも卑屈な考え方をするようになったと思う。人を疑うことの重要性、信じることの浅はかさ、学んだことを挙げればきりがないが、自分の世界観は大幅に変わった。

 

 

これだけつらいことをしてきて、華の大学生活も納期に拘束されて何一つ楽しくなかったが何よりも大切なことを学べて僕は嬉しい。きっと僕の性格上、学生フォーミュラをやっていなければ、「やりがい」や「達成感」なんて不安定で定量的でないものに引き寄せられて簡単にブラック企業に入社していたと思う。だけどこのサークルのおかげでそんなものより何より大切なのは労働への対価であり、それが唯一僕を報いてくれるもの、つまりは金こそが最重要だと確認できた。

金というのは仕事に責任を発生させる。金が生じないサークルでは誰でも逃げることはできるし、現に僕も逃げたことはある。それについては恥じることもないし、逃げた人を非難するつもりもない。なぜなら僕らは労働に対する対価をもらっていないから。サークルだからそこの文句を言う必要もないが、もしこれが本当の企業だったら許せない。

僕は世界中の何よりもブラック企業を嫌い、非難し、壊滅させたいと思っている。自分が就職する際には絶対にブラック企業には入社しない。そのための努力なら怠らない。僕は僕を守りたいと強く願っている。きっとこの想いはブラックサークルを経験しなければ分からなかったし、本当に感謝している。それだけでこれまで頑張ってきた意味がある。辛かったけれど本当に良かった。

 

 

帰省日記 〜夏の終わりに〜

 

少し時間が出来たので帰省してきた。

そもそもは高校時代に在籍したバレー部のOB戦に参加するため帰省したのだが、たまげたことに諸事情で部活停止になっていたので何もできなかった。バレー部の部停は僕が高2のときに家でBBQしたときに発生した悲劇の食中毒事件以来だったので少し懐かしい気分になった。

 

 

 

そんな感じだったのだが軽く数日間の思い出を振り返ってみる。

朝4時に起床し、支度をして5時に家を出た。7時に羽田を発つ飛行機を予約したのだが、こんなに早起きしなくちゃいけないのにはたまげた。出発の1時間前には空港に着いたのだが、突然の腹痛により長時間トイレに籠っていた。辛かった。おかげで保安検査をかなりギリギリで通過した。乗った飛行機はJALB767。特に感想はない。もうすぐ1万マイルが貯まるのでスパートをかけるためにも今回は飛行機を利用した。

 

 

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1時間程度で着陸した。空の上ではWi-Fiも使えたため、かなり有意義(ひたすらtwitter)な時間を過ごせた。今年はかなり飛行機を利用しているが、離陸する瞬間はいつだって童心に戻るものだなと感じた。あと羽がパタパタするのも好きだ。流体力学的になぜパタパタする必要があるか説明すると長くなるのでしないが、深い訳があることだけは知ってほしい。

 

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実家に到着後、友達と合流して母校に向かったが前述の通りOB戦は中止になったためフットサルをした。ゴールキーパーの練習中にパンツのお尻部分が破けてしまったのは秘密だ。その後、我が家でBBQをした。それなりに美味い肉とか海老とかを焼いた。ビールが体に染み渡った。

 

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友達とは積もる話をしたかと言われれば特にはしていない。中途半端に哲学的な話をした。

 

 

 

 

日付は変わって翌日、母校の文化祭がやっていたので様子を見てきた。教室をよく見ると高2の頃の文化祭で僕らが作った出し物(簡易的なジェットコースター)で付けた生々しい傷跡がまだ残っていた。

 

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在校生の出し物をごく普通に楽しんでいたのだが、シューティングゲームの1位から3位までを総ナメにし、さらには淫夢ファミリーを名乗るなど文化祭を非常に汚いものにしてしまったのは申し訳ないと感じている。

 

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その後は女子中学バレー部に混ぜてもらって軽くバレーをした。(中高一貫だったので中学もそこにある) 得体の知れない大学生が急に混ざってくるのだからその恐怖は計り知れないが、普段よりは楽しそうな練習ができてそうな雰囲気だったので満足した。パンツが破けないか不安だったが杞憂に終わった。

 

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部活後に購買でジュースを買って友達と喋るのには流石に青春を感じられずにはいられなかった。あの時は将来の夢だの、入りたい大学とかの話をしていたのだが、今では僕の動きがあまりに鈍いこととか淫夢の話とかで哀れを感じた。

 

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だいたい五日間ほど帰省していたのだが、そのうちの4日間くらいは誰かが家に泊まっている状態だった。親よりも行動を共にした。みんなが僕のせいで淫夢語録を覚えていく姿を見るのは愉快であった。銭湯に入っている時とか寝る前とかにめちゃくちゃ色んな話をした。将来のこともそうだし、何より哲学的な話をしまくった。僕は抽象的なレベルで物事を論じるのが好きなんだけど、それに話が合う友達がたくさんいて凄く楽しい。主観と客観とか相対と絶対とか、そういう話をしまくった。最終的にはすげえ馬鹿げた結論に落ち着くのがまた最高なのだ。

 

 

 

 

 

 

最終日には祖母と寿司を食べた。台風の影響で船が出ていなかったため、鮮度抜群な魚ではなかったけれど、十分に美味しかった。東京では食べれない味である。帰りは新幹線で帰った。乗車時間が飛行機と比べて2倍程度なので疲れはやはりこちらの方が大きい。手軽さは文句なしだけれども。

 

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とりあえずはけっこう楽しかった。エネルギーチャージは完了したので、またしばらくは東京で頑張っていきたい。

じゃけん、よく生きましょうね〜。

具体と抽象の狭間に

 

 

塾の先生をやっているといろんな子供と触れ合うことがある。素直な子、言うこと聞かない子、そしてもちろん頭が良い子とクッッソ悪い子。頭脳レベルに関しては早稲田実業高校の過去問を簡単に解けちゃう子と一次の方程式すら全く手が出ない子を同時に教えるときもあって落差が激しい。

 

 

 

 

そんな日々の中で僕は常々、頭が良いってどういうことなのだ?と考えてしまう。学校ではテストの点数で生徒を評価するけれど決してそれは頭の良さ自体を反映するものじゃないと僕は思う。学校の定期テストのような暗記重視の問題だと努力によって正直どうにでもなる。どんなに覚えるのが下手でもとにかく時間をかけて暗記すればそれなりに点数が出るようになっているのだ。そういう意味では日本の学校は弱者の味方だし本当に才能がある子を見抜くのは逆に難しいのではないかと思う。

 

 

で、おそらく僕が考えるに頭が良い子≒要領が良い子なのではと思う。じゃあ要領が良いってなんなのだ?ってことになるがこれは言ってしまえば、抽象的な事柄を利用して具体的な事柄へと変換できる能力なんだと思う。この文章自体が抽象的なので具体的な例を提示すると、数学の問題なんかが分かりやすい。

例えば因数分解でよく教科書に載ってる説明だと

(x+a)(x+b)=x^2+(a+b)x+ab

なんて公式が載ってるがこれを見ていきなり

x^2+7x+10=0 を解け

という問題を全く練習せずに解けるのか?ってことである。公式という抽象的な事柄を実数が混じった問題に使えってことなのだ。因数分解なんかは簡単だからそんなのできるだろって思う人が多いとは思うが大学レベルだと数学もしくは物理の問題で実数を用いることなんてほとんどない。実験したデータをグラフ化するときくらいじゃないかと思う。ペーパーのテストだとほとんど文字式のみであるし、授業も定理や公式の証明にほとんどの時間が割かれていてその利用法なんてものは各自に勉強しろよってスタイルなのだ。これはもちろん僕の大学が特殊なだけなのかもしれないので鵜呑みにはしないで頂きたい。

 

 

 

今示したように高等な教育になるほど具体的なものから遠ざかっていく。小学校のときなんか、たかし君は一個80円のリンゴと60円のバナナを買いました。的な、所謂すごい現実的な問題ばかりだったが中学校で因数分解や関数、高校で微分積分が登場したあたりでほとんどの人は数学と現実の隔離を感じ、一部は諦めていったのでは?と思う。何もこれは理系教科に限った話ではなく国語なんかだと僕は古典が大嫌いだった。だってあんなの絶対使わないじゃねーか!と思ってた。今でも古典を勉強する意味が分からないので誰か教えてください笑。というわけで僕は古典からは自主的に避難した。その挙句、センター試験で古典100点中10点くらいという残念な結果となった。

 

 

 

僕が思うに、小学校からの教育というのは人間としての一般常識を身につけるという目的もあるが、どちらかというと大学での勉強のためだと思う。大学で自分が研究する際には、論文を執筆する際には教科書なんてないし、如何に過去の例や実験を考察できるかってのがポイントになるから中学校とかがやってる暗記教育なんて無意味。あれは単純に学歴を手に入れて就職時のアピールのためであってそれ以外の意味はないと僕は思う。

 

 

 

 

よく生徒からなんでこんなこと勉強する必要あるの?二次関数なんて大人になってから使うの?って質問を受けるけど僕は濁さずにハッキリ答えることにしている。受験のためであって、君たちは将来使わないと。だけど二次関数がなければ君たちの生活が著しく不便になる。具体的には車の乗り心地なんて最悪になるだろうし飛行機の墜落確率も大幅に高まる、と答えている。生徒のリアクションは様々なものだが大抵はなんて反応したらいいのか分からず勉強し始めるのでこちらとしては楽だ。

 

 

 

 

ここまで特に一貫性もなくつらつらと述べてきたが、結局何が言いたいかというと大学進学しようとするやつ多すぎ!ってことである。うちの塾の生徒なんか正直言って抽象を具体に変換できるやつなんて1人しかいない。なのにその他大勢はなんとか大学に行こうとするから高校を背伸びしたところに受験する必要が出て苦しんでいる。そんなことなら高専か工業高校など就職に有利で実践的な高校に行けばいいのに、大学にいくのが今の時代ではスタンダードだからって理由でもがき苦しんでいる。めちゃくちゃくだらない。これも親のエゴなんだろうけど、自分の子供は大学には行かせたいなんて我儘で、能力のない子供はなんで勉強しないといけないの?って思いながら具体と抽象の狭間で彷徨っている。塾の先生の立場としては教えるしかないし彼らの進路に口を挟む権利もないんでちゃんと指導はしているが虚しい。

 

 

 

勉強が出来ない、能力がないというのは悪い事と思われがちだがそんなことはないはずだ。税金を納め、この国で暮らす限りは平等であることに安心すべきなのだ。もちろん年収などは差が出るのかもしれないが、そんなものないものねだりだろって思う。金を持っているから幸せなんてのも決めつけが甚だしいし、金がないから不幸だって考えるのも安易だ。あくまでそうである確率が高いだけであって各自のオリジナリティを信じろよって僕は強く訴えたい。事なかれ、周りに付いていけというような日本的思想のせいで苦しむ中学生を見たくはないのだ。

LAX&SFO旅行記 ロサンゼルス編2

 

 

どうも、久しぶりに春休みに行ったアメリカ旅行を夏休みになった今、再び書こうと思います。どんだけ遅筆なんだ、おれ。。。

 

 

 

 

とりあえずロサンゼルスで初めての朝を迎える。うむ、暇だ!予定など何一つ決めてないので何したらいいかも全くわからないが、海が近いということでサンタモニカってところに行くことにした。

バスを乗り継いで行くのだが、どのバスに乗ったらいいのかも、どうやって乗ればいいのかも分からないのでとりあえず目の前にきたバスに乗り込んだ。運転手にサンタモニカまで行きたいからどうすればいいんだ、と尋ねたら1日フリーパス的なやつを勧めてきたので買うことにした。たしか6$くらいだったと思う。だけど僕は小銭持ってなかったんで日本のバスについてるような両替機を探したんだけど、アメリカのそれには無くて近くにいたおばちゃんが両替してくれた。日本から来たんだっていったら50セントくらいお小遣いくれた。サンタモニカのおすすめスポットも教えてくれた。なんだか日本よりも人の温かみを感じた。たぶん、日本で外国人がバスで両替できねー!ってなってたらみんな白い目で見ると思うんだけどアメリカだとおばちゃんだけでなくみんなちょっとニッコリして温かく見守ってくれた感があって嬉しかった。

 

 

まぁ、そんなこともあってサンタモニカに辿り着いた。ちなみに飛び乗ったバスは全く違う方面行きのもので周りに何もないクッソ田舎なところで降ろされて1時間めちゃくちゃ暇だった。

 

 

 

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海。まぁ、たいして日本の海と変わらなかったから特に感動とかはしなかった。

 

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全体図。けっこう人が多くてカップルがすごかった。何がすごいって人前でキスしまくるのな。昨日のベットの下でヤってた事件もそうだけど羞恥心のラインはどこなんだろうか。。。

遊園地も併設されていてジェットコースター的なものもあった。この前、youtubeGTAの実況動画見てたら実況主がヘリコプターでこの遊園地を破壊してて感慨深い気持ちになった。

 

 

まぁ、海に来たところで暇なんで近くの繁華街を見て回った。途中で化粧品売り場のお姉さんに声をかけられ半ば強制的に洗顔された。あなたとってもカッコいいんだけど鼻がダメ。鼻の角質がダメ。汚い。と言われて心が砕けた。だけど綺麗にしてもらったので許す。

 

 

 

お腹が減ったのでごはんを食べることにした。やっぱりアメリカと言ったらハンバーガーだろう、ということで表参道とかにありそうなハンバーガー屋に入った。

 

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写真だと分かりづらいけどかなりボリュームがあって味もとても美味しかった。コーラを飲み干す度にタダでお代わりをくれて初めてアメリカに来たなぁ、と実感した。

 

 

 

この後は…、と書きたいところなのだが記憶がない。この後何したかも何食べたかも記憶がない。夕方に道端ですれ違った小学生と軽くサッカーやってバカにされた記憶はあるけどそれ以外全く覚えてないのでロサンゼルス編はこれで終了とする。

次回はサンフランシスコ編を書きたいと思う。現地の人と意気投合したり、まさかの帰国不可能な事態となり一瞬だけホームレスと化した悪夢の事件とかも書きたいと思う。お楽しみに!

 

8月8日 足ケガしてる人多くね?

NIKKI

 

 

今日は昼からバイト行って夜まで働いてスーパーで半額惣菜買ってビール飲んでごろごろ。さいこー。ほんとはいろいろやることあるのにね、、、

 

 

 

NIKKIとしてはこの程度しか書くことはないけど、普段電車でバイト先に向かってるときにふと舞い降りた疑問について書きたいと思う。それは足ケガしてる人多くね?ってこと。

 

 

実はこの疑問は1ヶ月くらい前からずっと気になっててどこか出かける度に調査を行ってきた。冷静になって振り返ってみても地元ではあまり足をケガした人を見かけた記憶はない。高校でしょっちゅう松葉杖ついてたY君程度しか記憶にない。やっぱり東京、特に三鷹以降の中央線付近で急増してんじゃねえかと思う。ちなみに今日の通勤時間(往復30分)で5人ほど足をケガした人を見た。人口密度が地元とは桁違いといえどやはり多い気がする。しかもそのケガのバリエーションが豊富なのだ。よく想像するような松葉杖パターンは実は希少で足を引きずってる人が多い。捻挫とかも考えられるけど何故だか足を引きずってる人は苦痛の表情は浮かべず、まるでそうなることを初めから覚悟していたような、一点のみをずっと見つめながら歩いている。もしかしたら持病なのかもしれない。男も女も。あと、老人もそれなりにいるんだけど30代くらいの女性がめちゃくちゃ足を引きずってる。純粋に疑問だ。

 

 

 

東京の足ケガ王(キング)といえば左足壊死ニキであるが、僕も一度京浜東北線で遭遇したことがある。その左足の壊死具合もハンパなかったが、なにより臭かった。壊死ニキのいた車輌には一人も乗車できないほどの悪臭だった。かく言う僕も中央線の満員電車で屁を放ったときに後ろにいたリーマンになんだこれは、たまげたなぁ、と言われたことがあるが電車内で平気で語録を使うリーマンの方がたまげたなぁ。あのさぁ…。

 

 

 

話を戻すとそもそも何故こんなに僕の住んでる街には足をケガした人が多いのか、しかも幅広い年代層で、豊富な種類のケガをしているのか謎は多い。この記事は序章に過ぎず、より細やかに調査•研究を行い改めてブログにレポートとしてまとめたいと思う。