NIKKI

なんかお腹痛いなぁ…って思った時に書いてるブログ

生命の創造、そして殲滅

 

 

 

生ゴミ

いのちやどりし

コバエかな

 

これは2018年の6月初旬に俳人(廃人)の橋本一茶が詠んだとされる俳句である。普段はあまり料理をしないため、珍しく料理をすると生ゴミの処理が疎かになり瞬く間にコバエが湧いてしまう様を描いている。また、冬の間はどんなに雑に処理をしてもコバエなど湧かなかったものの、今では驚くほど簡単にコバエという生命を創造することができ、季節の変わり目を感じている、という風に捉えることもできる。この俳句の注目すべき点はコバエが発生したにもかかわらず、おおらかな心持ちでそれを良くも悪くも大観している様子がうかがえることである。本来であればコバエというのは非常に醜い存在であり、一刻も早く殲滅していまいたいもの。しかし、橋本一茶はその広い心とあまりに雑な生活感でもってしてそれすら"生命の創造"という非常に高い次元で捉えているのである。彼は人々にコバエを通して広い心を持つよう訴えかけているのではなかろうか。

 

 

 

 

 

 


めんつゆで

一匹残らず

駆逐せよ

 

こちらも同年の6月に橋本一茶が詠んだ俳句である。この俳句は一見すると先ほどの主張とは異なり、めんつゆトラップで自ら創造したコバエを殲滅すべき、という風に捉えることができるが、彼が生前記していた日記(古金玉集)には趣き深い記述が残されていた。

"創ったものは終わらさなければならない"

彼の生きていた時代から察するに未来の見えない年金制度やとどまることをしらない増税、そして人民の社畜化など様々な問題が彼を、当時の人々を悩ませていたに違いない。その中で彼はどれも全て過去に人間が創ったもの、であればそれを殲滅させる必要もまた人間にあるのではないかと考えたようだ。その手始めとして自ら創造したコバエを自らとめんつゆの手によって殲滅すべしと捉えたのである。また、コバエに対してもこの閉ざされた閉鎖空間で生きることの一体何が幸せであるのか、自問自答を繰り返し、最終的には死を与えたようだ。残酷なようで慈悲深い決断である。その後の彼はテクノブレイクによってその一生を終えたと伝えられている。死の発見が遅れたため、彼の死体にはコバエが集まっていたようだ。死してなお創造する、彼のアイデンティティーがそこには満ちていた。

 

 

 

 

 

糞の名は

 

例えば就職活動などで「あなたの短所はなんですか?」と聞かれれば迷いなく「お腹が弱いところです。」と答えたくなるほど僕はお腹が弱い。なんというか緊張したり長時間トイレに行けないような状況になるとほぼ100%強烈な腹痛が襲う。
額を流れる冷や汗、下腹部をさする左手、そしてマックスパワーの肛門。何度経験したことか。そんな僕の最大の敵は電車。特に満員電車は天敵である。車内でのガス攻撃により幾度もテロを起こしたことがある。幸いにも自爆テロまで発展したことはまだないが、正直時間の問題であるとひしひしと感じている。

 

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1月の中旬、普段電車にあまり乗らない僕はバイトのために朝の満員電車に揺られていた。腸も揺れていた。なんかもう電車乗る前からこれはアカンやろなぁ〜って雰囲気は漂っていた。分かっていた。全部。曲がりなりにも22年の経験値が蓄積された僕はそんなバカじゃない。賢い僕はすぐに電車を降りた。
"雰囲気で察しろ"
肛門担当大臣が総司令部に迅速な対応を要求し、僕はそれに従った。
この経験に基づいた対処により僕はスッキリできた。ええ、とても。

人間というのはスッキリするととてもいい気分になる。そして調子に乗る。調子に乗ると色んな考えが頭に浮かんで来る。腹痛時には考えられないほどのクリエイティビティーを手にした僕は再び乗った満員電車でこんなことを考えた。考えてしまった。
"僕は無敵"
肛門になんのプレッシャーもない僕は無敵。そう、たとえ人身事故で電車が止まったとしても無敵。そんなことを考えた。考えてしまったのだ。

 

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その考えが浮かんだ瞬間に下腹部に妙な緊張感が走る。勝って兜の緒を締めよとはよく言われるが、本当に締めるべきは肛門であったのだ。
案の定自ら生み出したプレッシャーにより猛烈な腹痛が再び僕を襲う。
その瞬間、「ピ ピ ピ ピ ピッー!」
電車の緊急停止音が車内に、そして僕の腸内に響き渡る。まもなくして、
「この電車は前の電車で発生した人身事故によりしばらく停止致します。」
という車掌からの死刑宣告が僕に下った。


糞の魔の手から逃げるためには幾らかの手段がある。例えば発想の逆転。
"逆にお腹痛くないんじゃね?"
と自分に言い聞かせマインドコントロールすることによって腹痛から脱する。これは非常に高等な技術であるため長年の経験が不可欠である。いきなりやろうと思ってできるものはいない。もしそんな人がいたとすればそれは天才である。うんこの天才。
長年の経験を有する僕はマインドコントロールでの解決を図った。僕のお腹は痛くない。痛くない。痛くない。時には赤ん坊をあやすように、時には親の仇を討つかのように、いろんな表情で語りかけること約500回。やっと腹痛は治ったのだ。というか電車が動き出したのだ。頭の中で尾崎豊が歌い叫ぶ。
"この支配からの卒業〜っ!"

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こんな糞みたいな経験を糞のようにしてきた僕は糞が大嫌いだ。とても憎んでいる。糞ほど憎んでいる。
けれども相手を憎むことは誰にだってできるし、その憎しみが新たな悲しみを生むことなんて人類の歴史上どれだけあったことか。中東諸国では毎日のように血で血を洗う戦いが起こっている。その結果無実の子供たちがたくさん犠牲になっているという悲しい現実もある。僕は彼らから学ばなくてはならない。糞を糞ほど憎んで、糞を糞で洗うような戦いを避けなければならない。僕は生まれ変わりたい。糞を心から愛せる人間に。

 


じゃあ一体どうすればいいんだろう?一晩中悩んだ結果、僕は名前をつけることにした。糞の名を。
多くの人がペットに名前をつけるように僕も糞に名前をつける。そう決意した日の朝、僕はうんこをした。いや、もうただのうんこではない。彼の名は"鍋太郎"
勘のいい皆さんならなんとなくその理由もわかってくれるだろう。
強い決意とともにこの世に生を受けた鍋太郎は僕が大のボタンを押すと同時に虚しくもブラックホールへと吸い込まれていった。
あぁ、この世界に愛なんて存在するのだろうか?いつまでも僕は信じていたい。

 

(和歌山県の下の方を走る電車の中で執筆。ちょっとおなか痛い。)

院試勉強中にめちゃくちゃ聴いたアルバム5枚(洋楽編)

 

大して行きたくもない大学院進学のため割と必死に勉強してた僕。時には夏の暑さにうなされ、謎の微分方程式に絶望し、常に嫌な気持ちになっていた僕を救ってくれたのはそう、Apple Musicだった。学生なら月額500円程度で世界の音楽が聴き放題。それまであまり洋楽を聴いていなかった僕の耳に新たな風を吹き込んでくれたのだ。ということで、勉強中に死ぬほど聴いた洋楽のアルバム5枚を紹介するぞ!みんなもぜひともApple Musicに入って聴いて見てね!(ステマじゃないよ!Spotifyでもいいぞ!)

あとアーティスト1組につきアルバム1枚、ベストアルバムはNGというルールで選んだぞ!

 

 

1枚目 Oasis (What's the story) Morning Grory?

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いきなりオアシスかよ、って思う人もいるとは思うけどあくまで僕がめちゃくちゃ聴いたアルバムなので。とりあえずこれはめちゃくちゃ売れたアルバム。名曲しかない。勉強し始めた時とかテンション上げていきたいときに聞くとグー!

オススメ曲はこれまたありきたりだけどやっぱりWonder WallとDon't Look Back In Angerだね。院試の2日前に行ったソニックマニアでリアムのソロだったけどワンダーウォール聞けた時は今年一番感動した。あとRock 'n' Roll Starも聞けたけどサイコーだった。

とりあえずYouTubeリンクを。

https://youtu.be/r8OipmKFDeM

https://youtu.be/bx1Bh8ZvH84

 

 

2枚目  ザックブラウン・ バンド Welcome Home

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たぶんこれ知ってる人はあんまりいないと思う。アメリカの方ではめちゃくちゃ有名らしい。ジャンルとしてはカントリーらしいけどそんな昔のカントリーみたいなゆるーい感じでもない。メロディもすごいキャッチーだし、なんとなくあったかい気持ちになれる曲が多い印象。クソみたいな問題にぶつかってイライラしてる時によく聴いてたなあ。あと何よりこのバンドはいわゆるハズレ曲なるものが少ないから安心して聴けるよ。

とりあえずオススメ曲のYouTubeリンクを。

https://youtu.be/bW75vz11K98

 

3枚目 プリンス Sign 'O' the Times

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はい、来ましたプリンス。2017年の僕の耳の中で一番フィーバーしてるプリンス。おそらく勉強中に一番聴いてたのがプリンス。そして休憩中に一番見てたライブ映像もプリンス。史上最高に敬愛するプリンスだからこそ、もちろんの如くいろんなアルバムを聴いてたけど一番はこれかな。他にも1999とかLove Symbol Albumとかくそほど聴いてたのもあるけど、このアルバムに入ってる I Could Never Take The Place Of Your Man って曲が死ぬほど好きってのもあってこのアルバムを選びやした。正直本当の院試勉強中に聴いてたアルバム5枚選んだら全部プリンスになるくらいプリンス聴いてやした笑。

そんな最高のプリンスは最初に聞いた時は「ん?」って感じなんだけど聞けば聞くほど味がわかるというか、いわゆるスルメ曲がすごい多いし何回聞いても飽きない。だからこそ勉強にも最適!マイケルジャクソンは知っててもプリンス知らないって人は結構多いと思うけどそれはめちゃくちゃ勿体無い!聞け!日本のナヨナヨしたクソみたいなバンド聞くくらいなら聞け!プリンス聞け!

というわけでオススメ曲のYouTubeリンクを是非。聞け。黙って聞け。何回も聞け。

https://youtu.be/t5Px4jY1TVc

 

4枚目 Matthew Sweet Girl Friend

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ザックブラウンバンドを除いて今の所紹介したアルバムは結構古い。そしてもちろんこのアルバムも古い。だから同年代でこれ知ってる人はほとんどいないだろうけど以外にも僕らの耳にフィットすると思う。アニメソングとかドラマの主題歌みたいなサビのメロディ勝負のしつこい感じとは正反対のさらっと聞き流せる気持ちのいい曲が多いアルバム。もちろんしつこいのも好きだしデレステめっちゃやってるけど勉強するにはやっぱりこういうあっさりしたやつのがいいよね。ドライブするときとか家事するときとかに掛けておくとテンション上がりすぎず下がりすぎずちょうどいいところを維持させてくれるからホントおすすめ。

というわけで、これまたYouTubeリンクを。

https://youtu.be/y_XTBzxycoA

 

5枚目 Junius Meyvant   Floating Harmonies

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 はい、最後。Apple MusicのいいところってやっぱりTSUTAYAみたいなレンタルCDショップにはないような国の音楽が気軽に聴けるところだと思うんよ。というわけで絶対にレンタルCDショップにはないであろう北欧のアーティストを最後にチョイス。北欧の音楽って勝手なイメージだけど寒さとかもあってどこか薄暗い感じの先入観が個人的にはあるんだけど、このアルバムはまさにそんな感じ。日本にはこのタイプの曲はそんなないし売れなさそーとは思うけどすごい良いよ!あとこの人はライブではエレキギター弾くんだけど、まさかのピック使わないし親指でしか弾かないしダウンピッキングしかできないという苦行の中でバックバンドの力を借りながらすごい良い音楽を奏でやがる。作る曲の良さと楽器の上手さは関係しない人もいるんだなあ、とギター最近始めたけど下手くそな僕の心を意味もなく励ましてくれる。

というわけで、やっぱりYouTubeリンクを。ギター弾いてるこいつの親指に注目!

https://youtu.be/bwiwbQszRdI

 

 

とまあ、こんな感じで。これ以外にもビートルズとかボブマーリーとか、あともちろん邦楽もけっこう聞いてたけど、みんなに知ってほしいなって気持ちも含めて選びやした。聞いて見たいけど全部聞くのだりーよって人はとりあえずザックブラウンバンドから入るのがいいかも。あと、プリンス聴いて見て拒否反応示したり良さが分かんない人も絶対に出てくると思うけど我慢して聴いてたら絶対に良さがわかるから!上にはったリンクの曲以外だとI Would Die 4 U とかLittle Red Corvetteって曲がとっつきやすいと思う。以上。日本語にこだわらないで行こう!グローバルな人材に!

 

 

あけましておめでとうございます

 

あけましておめでとう


今更。ほんといまさら。1月19日ですけど、あけましておめでとう。1月5日にブログ更新してたけど何も言ってなかったのでいまさらですけど、あけましておめでとう。

 


年末は人生初のインフルエンザにかかって実家で療養。そして回復した大晦日には年越しパーティーに参加して酒を飲む&うまい棒ゲーム(ポッキーがうまい棒チョコレート味になっただけ)というさっきまで病人だったとは信じられないくらいハードに騒いだ。おかげで2017年開始1分でうまい棒ゲームで男とキスするというなんとも最悪な年明けに。
そこから東京に戻るまではずっと誰かと遊んでいたから時間感覚も曜日感覚もめちゃくちゃで、さらには年末ずっと寝込んでたこともあって僕の中の時計は12/26あたりでずっと止まってるような感覚で今日までズルズル生きてきた。

 


まだまだ気分は2016年の延長線上に感じられるし、2016年は僕にとってアメリカ行ったりサークル終わったりとかでほんと色々あって基本的に悪い意味で忘れられない年だからこそ、だからこそ断ち切りたい!年末年始のわけわからん時間軸の揺らぎのせいで続いているこの2016年感を終わらせたい!

 


ゆえに僕は高らかに!圧倒的自信をもって!誰になんと言われようと強く宣言する!

 

 

 

 


あけましておめでとう🎍
1月19日

 

 

今年もよろしくお願いします。

(ジムに行こう行こうと思いながら4時間ゴロゴロしてた隙に執筆。結局ジムには行かなかった。明日は絶対行く。マジで行く。)

ロックンロールをもう一度

 

 

新幹線から流れる風景は一瞬で消え去るし、どれも似たようなものだから特に面白いものではない。延々と続く田畑と乱発的な住宅街を見てよくこんなところで生活できるよな、なんて思うこともある。けれど東京駅に近づいて大きなビルや超長い電車を見かければ同じことを思ってしまう。僕もこの街に住んでいるのだけど。

 


年末年始に帰省して多くの人と話す機会があった。そこで話題に上るのはやっぱり大学卒業後のこと。僕は院に進学予定なので就活はまだ先のことであるが、文系に所属する人などは次の春から働くために頑張らないといけない。民間企業や公務員、さらにはパトカー(警察官)になりたいと言う人もいた。みんな色々だなぁ、と思いながら聞いていたけど就職を機に東京や大阪に出ていく、もしくは金沢に戻るなんて人も多くいて少し驚いた。

 

僕は大学で東京に出てきたから就職なんて別にどこでもいいし(鳥取・島根・沖縄は除く)特に地元に戻りたいなんて思いもない。だからなるようになれ(鳥取・島根・沖縄は除く)とは思っている。まぁ、特に働くことに関して職種や賃金、待遇の要求はあっても場所なんてどこでもいいのだ(鳥取・島根・沖縄は除く)

 

 

だからこそ就職するにあたって場所にこだわる人がそこそこいて多様だなぁ、なんて思うのだが同時に僕は保守的な人間になってしまったのでは?なんて思うこともある。
2016年の僕は色々と辛い経験をして、幸せなんてそうそう手に入らないものだし夢見るだけ無駄。家なんて買うだけ無駄。結婚はしたいけど子供なんていらない。こんな時代に生まれてくるのは可哀想。なんていう殻に閉じこもったような思想を持つようになった。これは"楽して生きる"という僕の人生のテーマを楽して達成するには不可欠なものなので今後もそんなに方針転換することはないと思う。

 

 


それゆえに人生に希望を持つ(対企業相手に勤務地という自らの希望を叶えたいという思い。実際これは公務員にでもならない限りはハードルは高い。)みんなに感動したのだ。
僕は僕でみんなはみんな。互いに影響し合うことなんてそんなにないけど、もうちょっと僕は夢見て生きてもいいんじゃねえかと思ってしまった。絶対にリストラされないぞ!とか。年金は意地でも貰うぞ!とか。

 

 

これから働けば嫌なことを知っていくし、人生も縛られていくだろう。守らなきゃいけないものも増えたり亡くなっていくものもあるだろうけど、それもまた人生(引用:GUCCI)である。それにこれから日本では制度的にも景気的にも僕ら世代は大した恩恵は受けることもないだろう。搾取されてばかりだろう。給料の内訳を見て天引きされる額に目玉が飛び出るだろう。
そんなことが日常と化したとしても僕と僕の周りの人だけ絶対的にちょっぴり幸せであればいいな、なんて思う。そんな願いは世間一般では当たり前のことだとしても僕の中では大いなるロックンロールなのだ。
(東京へ向かう新幹線の中で執筆)

思い出はメモリー

 

 

大学一年の時に落とした授業の中間テストを受けたのだけれど、明らかな三年間の成長を感じた。

まず、テスト以外に出席しないこと。そして過去問の入手スピード。一度犯した過ちは二度と繰り返さないという覚悟は、僕の努力を引き出すのではなく情報と策略を与えてくれた。当然、テストは問題なく回答し他の情報も策略も皆無で努力しかない一年生を横目に満足気な表情を披露できた。

 

 

 

 

なんの努力もしていない僕が努力しかしていない人を圧倒できたのはやはり、スマートフォンの力が大きい。いつでもどこでもインターネットにアクセスが可能で、写真も数千枚保存でき、いつでも見ることができる。その有り余る性能を利用して、マレーシアに留学中の友人から過去問を入手し、ツイッターでテスト実施日を知り、他の出席必須な授業時にダウンロードした過去問を凝視しひたすら回答を暗記した。

 

 

もしスマートフォンがなかったら僕はまたみじめな想いをしていたのかもしれない。

そんな有意義な機械でも時として自分を苦しめることもあるのではなかろうか。散々今までにも書いてきたが僕は猫アレルギーだけど猫が大好きだ。Instagramで毎日猫チェックだってしている。

その飼い主たちは自分の猫の可愛さを他の人にも知ってもらいたいって思いももちろんあると思うけど、自分と猫との思い出をインターネットを通じて少しでも痕跡を残したい、という気持ちもあるんじゃないだろうか。

 

 

 

 

僕が猫を飼っていた小学生時代はスマホなんて便利な道具は無く、きっと大学生も真面目に努力していた時代だったろう。だから、その猫の写真なんてほとんど無くて、あったとしても僕が産まれる前の物ばかりで辛うじて僕が一歳にも満たない時期のツーショットがあるくらいだった。つまりは僕の記憶にある猫の姿は何一つ残ってないのだ。祖母の寝室に火葬した際の頭蓋骨は常に置いてあるのだけれど。

 

 

 

何も思い出が残ってないと言うと悲しく聞こえるかもしれないけど、反対に考えれば僕にとって彼女を振り返れるのは自分の記憶を辿るのみで、しかもその記憶も徐々に他の物に上書きされて薄れていってしまう。だからこそ、悲しみが襲ってくることも無いし、自然とそんな時もあったな、いい思い出だ、ということで脳みそくんが整理してくれる。

 

 

 

 

もしもインターネット上に無数に写真が思い出が残っていたとしたら。スマホの写真フォルダに常に残っていたのなら。スマホを使う度に思い出し、脳みそくんがどう整理したとしても何度も引っ張りだされてまた散らかってしまう。その度に悲しみに暮れるのこそ一番悲しいことなのかもしれない。

 

 

 

 

 

この時代ではいつだってどこでだって思い出をメモリーする手段はあるけれど、良い思い出も忘れていってしまった方が、数十年後には良いのかもしれない。

振り返って見れば友達と行った美味しいご飯屋さんも、旅行の思い出もひとつひとつ丁寧に写真を撮っていたのは、写真を撮らねば忘れてしまう、という恐怖心もあったのかもしれない。だけど、忘れることも悪くないな、なんて思えれば大切な思い出はきっと忘れないと思うし、ずっと心に残るはずだ。

 

 

 

そんなことを宇宙流体力学テスト前日(ノー勉、過去問未入手)に考えている僕。今は圧倒的に覚えることの方が重要だというのに。。。

 

 

 

※思い出はメモリー。力こそパワー。毎日がエブリデイ。

Wi-Fi回線より祈りを込めて

 

死んだ。Instagramでずっと見守ってきた猫が死んだ。彼女は元野良猫でこれまで暮らしてきたのだが、晩年に現在の飼い主に拾われ、その一生を終えた。色もはっきり言ってしまえば汚い茶色で、毛並みもまったく整っていない。醜い猫だ。けれども毎朝、Instagramで更新される彼女の生存報告にほっとする自分もいた。理由はわからないけど。

 

 

 

 

亡くなった際に飼い主の報告の文章に少し気になるところがあった。

「○○ちゃんはお空に還りました。」

最初は何気なく見過ごしていたけれど、よくよく考えれば変だな、と思うところがある。もちろん宗教観にもよるのだが、少なくともこの日本では人間や動物(野菜とかわからんが)が死ぬとその魂のゆくえは知らずとも、とりあえず空に昇っとけ精神があると思う。

芥川龍之介の小説、蜘蛛の糸なんて最高の代表例ではあるが、やはりみんなどこかで天国は上、地獄は下って概念があるんだろう。

 

 

 

そもそも天国とか地獄とか信じてねーし、無宗教だしって思ってる人もさすがに愛猫が亡くなれば空を多少なりとも見上げんじゃね?って思う。そう考えれば日本ってのは宗教が意識せずとも徹底された国なんだろう。きっとインド人ならガンジス川に祈りを捧げるんだろうし。

 

 

 

そんなことを考えていたら、この前帰省したときに祖母に言われた言葉を思い出した。

「わたしが死んだ時は天国にも地獄にも行かず、あんたに憑依してやる」

何気ない談笑の中で突然これを言われて背筋が凍ったが、よくよく考えれば80過ぎたばあさんのくせに柔軟な思想してんなー、と思う。

 

 

 

そんなばあさんに見習って僕が死んだら僕はどうしようか、とか考えてみる。死ぬ時のシチュエーション。病死、殺害される、安楽死、憤死。そもそも死んだらやっぱり僕って概念は完全に消え去るのだろうか。色んなことを想像するけど、きっと僕の体から僕の魂が消えたとしてもばあさんの魂は粘り強く残ってんだろうなぁ、なんて思う。よって僕は永久に不死身である。

 

 

 

 

 

死ぬのは痛そうだし、怖いし単純に嫌だけど死んだらどうしよう、なんて自由に考えられれば少しは毎日楽しくなるかなって思う。Instagramの死んだ猫は今ごろ何してんだろうな。。ニンジンとかに生まれ変わってんのかもね。

(ガスタービンの講義中に最前列で執筆)