NIKKI

なんかお腹痛いなぁ…って思った時に書いてるブログ

ブス論



人間は中身が大事なんだと学校の先生は言うけれど、
そんなのは理想論であり、教育者という立場上仕方なく発した言葉である。
先生だって顔で恋人を選んでる。当然だ。
実質、僕は外見と中身は60:40くらいの比率で影響力持っていると思う。
皆はどうだろうか?
別に外見が占める割合が多ければ心が汚れてるってわけじゃないとも思うよ。


そんなことはさておき、外見を表現する上で重要な2つの単語がある。
「ブス」と「イケメン」だ。
この2つの単語を言ったり言われたりする人も多いと思う。
現に、小学生からそこらへんのサラリーマンやOLまで大人気の単語だ。
そんなこの二つの単語には重大な欠点が存在する。
それは意味が曖昧すぎるということだ。
例えば、「ブスを想像してみてください」と言われたらどんな顔を思い浮かべますか?
ハッキリと浮かんだ方はいるでしょうか?
おそらくほとんどの人がぼんやりとブスのブサイクな顔を思い浮かべたんじゃないでしょうか。
これが曖昧だ、ということなんです。
例えば、外見を揶揄する上でのもう一つのポピュラーな言葉、「デブ」。
これはどうでしょうか?
個人差はあると思いますが、皆さん明らかにクッキリとデブの腹の輪郭をイメージすることができたんじゃないでしょうか。
これが言語的な「デブ」と「ブス」の違いだ。
では、国語辞典では「ブス」についての説明はどうなっているのだろうか。
インターネットを駆使し、goo辞書の「調べたい言葉」にブスと入力し、Enterキーを押すと次のような言葉が出てきた。


醜女 (しゅうじょ・しこめ) 。また、女性をののしっていう語。


なんだこれは?こんなんじゃ全然わかんないよ!
これはもう国語辞典すらブスに対して負けを認めてるんだな、と思った僕は自分なりの「ブス」に対する答えを無意識のうちに探していた。
そして何気なく過ぎ去っていく日々の中、一枚の写真が目に留まった。


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この猫をみた瞬間思った。
「こいつブスやなぁ~」と。
初めてこの猫を見た方で同じことを今思ってる人も居るんじゃないかとおもいますが、これはエキゾチックショートヘアという品種の猫で、ペルシャ猫とアメリカンショートヘアを交配させてできた猫なんですよ。
まぁ、そんなことはさておき問題なのは「なぜこの猫がブスに見えてしまったのか」ということだ。
この猫の特徴としては、やはり何といっても鼻と口であろう。
これが普通の猫との違いとなり僕にブスだと感じさせる要因となったのは明らかだ。
おそらくほとんどの人がイメージする猫はこんな感じだろう。



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かわいい。これぞ猫って猫だ。
きっと僕の中ではこの写真の猫が「猫ってこうあるべきものだ」っていう固定概念であり、それとの違いがエキゾチックショートヘアをブスだと思わせたのだ。



一旦話を人間に戻して整理すると、人はそれぞれが女の子とは(男の子とは)こういう顔であるべきだ、またはあってほしいという固定概念が存在し、その固定概念の多様性からブスというのは曖昧な存在になってしまっているということである。
例えば、平安時代における固定概念というのはどんなものであろうか。
枕草子の中で藤原行成は次のようなコメントを残している。


「目が縦についていて、眉がおでこの方に吊りあっがていて、 鼻が横についていても、口元に愛嬌があって、声がよければいい」


よくわからないと思うが、つまりはこういう顔である。



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これは現代においては確実に「ブス」の称号を得る顔である。
しかし平安時代では「美人」なのだ。
要はその時代の人々のニーズによる違いなのだ。
話を原点に戻すと、つまりは、「ブス」というのは人々が求める「そうあるべき顔」に適合しなかった者、「そうあるべきではなかった者」と定義することができるのではなかろうか。
なんか急にかっこよくなった。