NIKKI

なんかお腹痛いなぁ…って思った時に書いてるブログ

Wi-Fi回線より祈りを込めて

 

死んだ。Instagramでずっと見守ってきた猫が死んだ。彼女は元野良猫でこれまで暮らしてきたのだが、晩年に現在の飼い主に拾われ、その一生を終えた。色もはっきり言ってしまえば汚い茶色で、毛並みもまったく整っていない。醜い猫だ。けれども毎朝、Instagramで更新される彼女の生存報告にほっとする自分もいた。理由はわからないけど。

 

 

 

 

亡くなった際に飼い主の報告の文章に少し気になるところがあった。

「○○ちゃんはお空に還りました。」

最初は何気なく見過ごしていたけれど、よくよく考えれば変だな、と思うところがある。もちろん宗教観にもよるのだが、少なくともこの日本では人間や動物(野菜とかわからんが)が死ぬとその魂のゆくえは知らずとも、とりあえず空に昇っとけ精神があると思う。

芥川龍之介の小説、蜘蛛の糸なんて最高の代表例ではあるが、やはりみんなどこかで天国は上、地獄は下って概念があるんだろう。

 

 

 

そもそも天国とか地獄とか信じてねーし、無宗教だしって思ってる人もさすがに愛猫が亡くなれば空を多少なりとも見上げんじゃね?って思う。そう考えれば日本ってのは宗教が意識せずとも徹底された国なんだろう。きっとインド人ならガンジス川に祈りを捧げるんだろうし。

 

 

 

そんなことを考えていたら、この前帰省したときに祖母に言われた言葉を思い出した。

「わたしが死んだ時は天国にも地獄にも行かず、あんたに憑依してやる」

何気ない談笑の中で突然これを言われて背筋が凍ったが、よくよく考えれば80過ぎたばあさんのくせに柔軟な思想してんなー、と思う。

 

 

 

そんなばあさんに見習って僕が死んだら僕はどうしようか、とか考えてみる。死ぬ時のシチュエーション。病死、殺害される、安楽死、憤死。そもそも死んだらやっぱり僕って概念は完全に消え去るのだろうか。色んなことを想像するけど、きっと僕の体から僕の魂が消えたとしてもばあさんの魂は粘り強く残ってんだろうなぁ、なんて思う。よって僕は永久に不死身である。

 

 

 

 

 

死ぬのは痛そうだし、怖いし単純に嫌だけど死んだらどうしよう、なんて自由に考えられれば少しは毎日楽しくなるかなって思う。Instagramの死んだ猫は今ごろ何してんだろうな。。ニンジンとかに生まれ変わってんのかもね。

(ガスタービンの講義中に最前列で執筆)