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NIKKI

なんかお腹痛いなぁ…って思った時に書いてるブログ

思い出はメモリー

 

 

大学一年の時に落とした授業の中間テストを受けたのだけれど、明らかな三年間の成長を感じた。

まず、テスト以外に出席しないこと。そして過去問の入手スピード。一度犯した過ちは二度と繰り返さないという覚悟は、僕の努力を引き出すのではなく情報と策略を与えてくれた。当然、テストは問題なく回答し他の情報も策略も皆無で努力しかない一年生を横目に満足気な表情を披露できた。

 

 

 

 

なんの努力もしていない僕が努力しかしていない人を圧倒できたのはやはり、スマートフォンの力が大きい。いつでもどこでもインターネットにアクセスが可能で、写真も数千枚保存でき、いつでも見ることができる。その有り余る性能を利用して、マレーシアに留学中の友人から過去問を入手し、ツイッターでテスト実施日を知り、他の出席必須な授業時にダウンロードした過去問を凝視しひたすら回答を暗記した。

 

 

もしスマートフォンがなかったら僕はまたみじめな想いをしていたのかもしれない。

そんな有意義な機械でも時として自分を苦しめることもあるのではなかろうか。散々今までにも書いてきたが僕は猫アレルギーだけど猫が大好きだ。Instagramで毎日猫チェックだってしている。

その飼い主たちは自分の猫の可愛さを他の人にも知ってもらいたいって思いももちろんあると思うけど、自分と猫との思い出をインターネットを通じて少しでも痕跡を残したい、という気持ちもあるんじゃないだろうか。

 

 

 

 

僕が猫を飼っていた小学生時代はスマホなんて便利な道具は無く、きっと大学生も真面目に努力していた時代だったろう。だから、その猫の写真なんてほとんど無くて、あったとしても僕が産まれる前の物ばかりで辛うじて僕が一歳にも満たない時期のツーショットがあるくらいだった。つまりは僕の記憶にある猫の姿は何一つ残ってないのだ。祖母の寝室に火葬した際の頭蓋骨は常に置いてあるのだけれど。

 

 

 

何も思い出が残ってないと言うと悲しく聞こえるかもしれないけど、反対に考えれば僕にとって彼女を振り返れるのは自分の記憶を辿るのみで、しかもその記憶も徐々に他の物に上書きされて薄れていってしまう。だからこそ、悲しみが襲ってくることも無いし、自然とそんな時もあったな、いい思い出だ、ということで脳みそくんが整理してくれる。

 

 

 

 

もしもインターネット上に無数に写真が思い出が残っていたとしたら。スマホの写真フォルダに常に残っていたのなら。スマホを使う度に思い出し、脳みそくんがどう整理したとしても何度も引っ張りだされてまた散らかってしまう。その度に悲しみに暮れるのこそ一番悲しいことなのかもしれない。

 

 

 

 

 

この時代ではいつだってどこでだって思い出をメモリーする手段はあるけれど、良い思い出も忘れていってしまった方が、数十年後には良いのかもしれない。

振り返って見れば友達と行った美味しいご飯屋さんも、旅行の思い出もひとつひとつ丁寧に写真を撮っていたのは、写真を撮らねば忘れてしまう、という恐怖心もあったのかもしれない。だけど、忘れることも悪くないな、なんて思えれば大切な思い出はきっと忘れないと思うし、ずっと心に残るはずだ。

 

 

 

そんなことを宇宙流体力学テスト前日(ノー勉、過去問未入手)に考えている僕。今は圧倒的に覚えることの方が重要だというのに。。。

 

 

 

※思い出はメモリー。力こそパワー。毎日がエブリデイ。