NIKKI

なんかお腹痛いなぁ…って思った時に書いてるブログ

人が死ぬこととか

 

 

朝起きて、野村監督が亡くなったというニュースをみて少し感傷的な気持ちになった。僕は別にめちゃくちゃ野球好きってわけでもないし、野村監督のファンって訳でもないけど、夜10時くらいのスポーツニュースで野村監督のボヤき解説を見ながら酒を飲むのが楽しかった。もちろん野球選手としても人間としても素晴らしい人だと思う。だけど僕が感じた哀しみはそんなものが起源ではないような気がした。

 

 

 

 

人の人生ってなんなのか、なんのために、というのはずっと抱えてきた疑問。たぶん答えはない。だけどいつかは自分は死ぬし、その間に知らない国の誰かや大切な誰かも死ぬ。命の誕生に巡り合えるかもしれない。命が生まれて消えてその過程に何を求めればいいのやら。消費していく毎日に何を求めて生きているのか。なーんにも考えないまま朝起きて歯を磨いてうんこしてご飯食べて、仕事とかなんか色々がんばって風呂入って寝る。たまに友達と飲んで楽しい。一人で日本酒飲むのも楽しい。好きな馬が勝つと嬉しい。日々を彩る何かが僕を支えてくれる。遠くの誰かがやっていること、考えていることがいつか繋がるかもしれない。そうやって毎日が消費されていく。何も考えない、というか考えたくない。と言いつつも考えてしまうけど。生きることに目的とか使命があればそれに縛られてしまう。楽しく酒が飲めなくなるかもしれない。そうならないように、そうしないように歩いている。

 

 

 

そうやって描いていく人生の終わりに何が残るのかと言われるとわからない。野村監督は明らかにいろんなものを残して亡くなった。それは野村監督の死を悲しむ人、惜しむ人、感謝の気持ちを伝える人の多さを見てればよくわかる。そこに生きてきた価値があるんだと思う。ただ太陽の動きに合わせて生きていくだけではそんな人生にはたどり着けないだろう。それがなんとなく感じ取れたから僕は哀しくなったのかもしれない。自分が死ぬときに、死んだ後に誰かが何かを思えるような人生であれれば。誰かが死ぬとわかったときに思い出したくなるような人間になれれば。毎日飲む酒ももっと美味くなるんだろうな。