NIKKI

なんかお腹痛いなぁ…って思った時に書いてるブログ

十月の末、蝶ヶ岳を歩く

 

はっきりと星が見えるかも分からないし、天気予報によると、夜中には吹雪になるようだった。それでも家でジッとしているのもなんだか気分が優れないし、なんとなく綺麗な朝日を見られる予感がした。

朝四時半時頃、起きてシャワーを浴びる。それから軽くおにぎりをひとつ食べ、車に乗り込む。買ったばかりのミレーのザックとサロモンの登山靴。それだけをトランクに載せてエンジンをかければ、ヘッドライトが自動で光り、靄に包まれた視界を照らす。まだ人影も少なく、暗みがかった道を走るまばらな車たちは、それぞれが明らかな目的を持って、それぞれのはやさでどこかに向かっている。そんな雰囲気に溶け込んだ僕も、アクセルを踏み込んで、蝶ヶ岳への登山口を目指す。

途中、コンビニにも寄りながら、一時間と少々。登山口に駐車する車の数はこれまでの半分以下のようで、季節が進むにつれて登山者も少なくなっていくことを示している。程よい場所に車を停め、靴を履き替えた僕は、新品のザックを背に、白い息を出しながら歩き始める。

猿や、熊だって出てきそうな道をひとり黙々と歩く。車を出た時には肌寒く感じたのに、十五分も歩けば汗が滲む。やっと高く昇った太陽は、木々の隙間からシダの葉を照らし、それがまるで夏のようで、タオルで汗を拭いて水を飲むも、これはキンキンに冷たい。五感で季節の境目であることを確かめながら一時間ほど登り、標高は二千メートルを超えたあたりから、昨晩積もったのであろう、雪がうっすらと顔を出した。白くなった大きめの岩にセラヴィーと書くと、人差し指はかじかんで一年振りの感触に嬉しくなった。

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もう今年で三回も蝶ヶ岳を登ると、いいかげんに道を覚えてしまう。序盤に出てくるけっこう揺れる吊り橋や、ゴジラみたいな木。そして大量の階段。登山道はいたって普通で、眺望も山頂に至るまでは望めない。ネームバリューは隣に聳える常念岳のほうが有名で、高ボッチ高原からアルプス全体の写真を撮れば、どうしてもそちらに目が移る。(とんがっているし)

はっきり言って、地味。そんな蝶ヶ岳が僕は大好きで、他のとがった山にはない、広々とした山頂。そしてそこからゆっくり眺められる穂高岳槍ヶ岳の景色。右に視線を向ければ、常念岳へとまっすぐ続く山脈が見える。(この縦走路は岩道が多くて大変疲れる。僕はヘトヘトになって、もう二度とこんな道歩くかよ!と思った)

常念岳に登ってしまえば常念岳は見えないし、槍ヶ岳に登れば同じように槍の穂先は見えない。そういうことを思えば、この蝶ヶ岳はまさに「山を見るための山」のようなもので、登頂を目的とする山というよりも、登頂が手段となる山といえる。だから何度でも登りたくなるのだろうし、そうしていると愛着も湧く。ただし、思わず「嫌だー!」と叫びたくなるくらい多い階段だけは気に入らねえ。

そんな階段はこの時期にはカチンコチンに凍り、それを僕は何度も滑りながら、時には東京フレンドパークのジャンプして貼りつくやつみたいな格好になったりもしながら、山頂に近づいていった。

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標高は二千四百メートルになったくらいからか、木々は存在できなくなり、白化粧をしたハイマツが足元に並ぶ。視界は一気に開け、後ろを振り向くと、信州の田園と街並みが見える。つい何時間か前には僕もあの米粒みたいに見える街の中にいたんだよな、と不思議な気持ちになる。人間の足ってのは、なかなかすごいな。いや、それよりも車か。

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やっと登山の楽しいところを感じ始めてからわずか二十分ほどで、山頂に到着。もうすでに上空の雲は厚く、風は冷たく吹き付け、天気は徐々に荒れ模様となってきている。写真を撮る気にもなれず、早足で山小屋に駆け込んで、宿泊の受付を済ます。そのあと少し荷物を整理し、お昼ご飯を食べ、ちょっとうんこをしてスッキリしたところで、あったかいストーブの前で持ってきた本を読む。窓の外では強い風に乗って雪が吹き付け、厳冬期が始まりを告げるような音も聞こえる。そんな外の世界とは無関係に文字の世界に浸るこんな状況、こんな時間。ほんとたまらないよなあ、といつも思う。なんて贅沢なんだろうか。(夜のテントの中でライトをつけて読む本も格別)

山小屋は二十時には消灯となり、僕も寝袋にくるまる。窓からは相変わらず雪が吹き付けているのが確認でき、これは積もるだろうなぁ、と不安とワクワクの中で眠りについた。

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早朝四時頃。あっつ!と寝袋の上から布団をかけて寝ていた僕は汗だくの状態で目を覚ました。さっそく窓に近づいて様子を見てみると、まだ暗くてよく見えないが、どっさりと雪が積もっていることだけはわかった。とりあえず、持ってきたありったけの防寒具を着て、ヘッドライトをおでこに装着。それから、一眼レフを斜めに掛けて外に出ようとすると、まじか、扉が開かねえ。どれだけ力を込めても微動だにしない。それだけ雪が積もっている。幸いにも外から帰ってきた人が雪をどかしてくれたので、外に出ることはできたのだけど、膝くらいまで雪は積もっていて、風はとても強く、雪はまだ降り続いている。(あの人はどうやって外にでたんだ?)

山頂付近で「今回は景色は見えないだろうなあ、安全に降りることに努めよう」と思いながらひとりでぼーっとしていると、雲は速いスピードで流れ、意外にもところどころの切れ間からたくさんの星が見えた。これは、いけるかもしれない!

日の出まであと三十分ほどの時間。薄暗く、おそろしい空気感を醸し出す穂高連峰とその奥に潜む小さな星たち。生命の存在しない風景と僕。ただひたすらに、単純と複雑を繰り返し続けているこの視線の先には、何の意思もなく、全てがあるがままに漂っているが故に、僕の目に映っているのは結果でしかなくて、人間社会とどう違うのだろうか、なんてことを考えたりもした。

そのうち、背後では雲の色に徐々に暖色も混ざり込み、人のシルエットも明らかになり始めた。朝が始まる。この瞬間を味わうために、僕はここまで歩いてきたのだ。

やがて太陽は少しずつその姿を見せ始め、今までおそろしい表情をしていた山脈たちは、明るみを帯びるにつれて、だんだんと優雅で、気高い雰囲気を漂わせる。白に染まったその姿は、もう冬山と呼んでも差し支えのないもので、二年前の皓生と登った白馬岳を思い出し、こんなところに一人できたのか、と胸の底からグッと感情が押し寄せてきた。

昇り続ける太陽を横目に稜線をなんとなく歩いていると、なんだかもう写真を撮るとか、景色を味わうとか、そんなことすらどうでもよく思えてきて、ちょうど空には全く雲も見えなかったから雪の中にダイブしてみた。さらさらの粉雪は肌に触れると気持ちよく溶け、僕の背中を模って最高のベッドになる。そのまま目を閉じて、何にも考えないように。といっても考えてしまうけど。何の意思もなく、山とおなじように。あるがままに。

そして出来ることなら、このままここに溶け込んで死んでしまいたい。これからやってくるであろう面倒な事は嫌いだし、先々のための正しい計画なんて全く興味がない。それに今が人生のピークかもしれない。山のピークにいることだし。

だけど、そういうふうに「思って」しまったから、死ぬことは辞めにして、また明日から仕事を頑張ることにした。

 

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(午後にある菊花賞(G1)に間に合うために雪道を全速力で駆け下りた)