NIKKI

なんかお腹痛いなぁ…って思った時に書いてるブログ

人の好意を素直に受け止められない独身ボーイのささやかな嘆き

 

まずはじめに。

今現在(2021年2月11日木曜日)僕に恋愛的な好意を寄せている人などいない。あくまで、"もしも"誰かを好きになってしまったら。好きになられてしまったら。を妄想して、勝手に絶望する僕の気持ちを綴ります。

 

なんだかここ最近はやっぱり1人が楽しい。1人でいる限りは、いつどこで何をしようとも自由。そんな毎日がこの上なく快適なんだけど、もちろんそれでは寂しい。だから、気の許せる昔からの男友達とはよく雪山にいって馬鹿なことをしたりして遊んで、それなりにそーいう寂しさなんてものは紛れたりはする。

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Fig.1 This is a picture of me doing BAKA on powder snow

 

だけども、僕の心が欲しているものはこーいうのとはまた別で、より日常的というか、恒常的というか。普段やっている遊びはその真逆で、刹那的で破滅的。一瞬のために臥薪嘗胆をするみたいなものだと思う。

例えば競馬。自分の馬が勝つなんてなかなか難しい。ましてや、走るのは僕じゃなくて馬。それを外野から金だけ出して応援するだけ。そんなものの何が楽しいのか、と問われれば上手く答えることなんでできないのだが、楽しい。僕が命名したセラヴィーのデビュー戦を生で見て、刹那的な感情は高まる。必死に走るセラヴィーを見ると、自分も明日の仕事を頑張ろうと思える。(結局、在宅ワークでごろごろしてるのだが) だけど、こういう楽しみはやっぱりなかなか分かってくれないし、そんなことに金を使うのならもっと有意義なものに、と思われても仕方がないのだろうなぁ、と思う。これはきっと、僕の女性に対する差別的な、どうせ僕の本心なんてわからないんだろう、という勝手な諦めによるものなんだろうけど、そう思う。実際に僕のインスタの投稿なんかを見て、楽しそう!とか思ってくれている人はいるとは思うけれど、いざ僕と一緒に同じ目線で楽しむぞ!となれば、どうせ上辺だけの同調しかされないのだろうな、たぶん。

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Fig.2 C'Est la vie and Kawamata Jockey

 

 

 

例えセックスをしたところで、身体的な繋がりでお互いに心の距離感が縮まったと錯覚し、なんとなく一般的な恋人を演じるに過ぎないわけで、そんなものはクソ、と今の僕は断言する。

なんというか、僕は自己主張が強いタイプの人間だから、(男も女も関係なく)どうしても相手の同調ばかりを集めてしまう。それのせいで、人のことがよくわからないままで、うやむやな感情を「この人は僕のことを分かってくれない」という自分が絶対に傷つかない結論に導いて勝手に絶望しているのだろう。だから、昔の友達とばかり遊んで、やっぱこいつらはサイコー!なんて考える。結局見えてないのは僕で、見ようとしていないものは、そりゃ見えないよな。

 

 

この前、一人で雪山を登って樹氷を見に行った。一人ならばペースも自由だし、そもそも行くか行かないかも当日に車のエンジンを掛けるまでは不明。山から降りた後も、星空をみたいと思ったから美ヶ原までいき、車中泊をした。星はうまく見れなかったけれど、朝日を浴びた北アルプスの眺めは格別だった。

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Fig.3 Brief interval of clear weather

 

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Fig.4 View from the Utsukushigahra Plateau

 

やっぱりこういうのは1人でないと出来ないし、1人で行くからこそ意味がある。おそらく最適解は1人でいる時と、誰かといる時の両立。今の僕ではそれはなかなか難しいし、その中に将来のライフプランだとか、恋愛的感情だとか、そんなものまで持ち込まれるともうダメだ。この歳にもなって野糞ばかりしている人間なのだから、もう少しゆとりのあるような付き合い方でなければ、お互い身が持たないのであろう。

そんな嘆きをしたはいいものの、こんな実態のない嘆きになんの意味があるというのか。きっと、着実に人生の階段を駆け上がっていく他人を見ての焦りが、こんな文章を生んでいるのであろう。羨ましいものは羨ましいけど、やりたいことはやりたい。じゃあ、やりたいことって?野糞かな。

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Fig.5 This is me in despair.