NIKKI

なんかお腹痛いなぁ…って思った時に書いてるブログ

人生の交差地点、天皇賞(秋)

 

コロナ禍で無観客になっていた時期を除いて、競馬を始めてからは必ず天皇賞(秋)は現地で観戦するようにしている。最も盛り上がるダービーや有馬記念は行ったり行かなかったりなのだが、この天皇賞(秋)だけは、必ず行くと決めているのだ。

そんな話を会社の競馬おじさんすると、「なんで?有馬記念の方がいいじゃん」と聞かれるのだが、時期や条件的に最も強い馬が集まりやすく、強い馬が強い競馬をして勝つような面白いレースになるからです。という僕の答えは半分正解で、もう半分の本音は別のところにある。

 


今年の天皇賞が行われる週末、僕は土曜日から競馬場に入り浸っていた。ビールを片手に紙馬券を握りしめているのだが、馬券を買った馬はスタートで出遅れ、最後の直線ではテレビカメラにすら映らない。それでもめげずに次のレースの予想をし、すぐさま券売機に三百円を投げ入れる。そしてその動作を、十五分間隔で繰り返す。まるで、大学時代に戻ったかのようだった。

就職してからは、競馬場には誰かと一緒に行くことがほとんどで、馬券の当たり外れを面白おかしく話せる人が隣にいた。けれども、今週末に限っては一緒に行くはずだった友人が結婚したばかりのドタバタで、急遽一人きりになってしまった。行きの特急電車の中では、それも悪くはないな、と思っていたのだが、いざこうやって十五分に一回、三百円を失うマシーンになってみると、心も冷たくなる。

やっていることは大学時代と同じなのに、どうしてこんなに楽しくないのだろう。的中率が低いから?いや、昔の方がもっと酷かった。ダート1400mの最後の直線、単勝で賭けていた圧倒的一番人気の馬が馬群から抜け出せないのを見下ろして、冷静に分析を始めていた。

 


バイトで稼いだ金を馬に貢いでいたあの頃、競馬場には酒くさいジジイ達がいた。お互いの名前もしらないで、いつもの机に、いつものメンバーで、いつものように馬券を外しているジジイたちが。毎週末のように自転車で通っていると、銀だこの近くにはハンチング帽を被った集団が、ケンタッキーの近くにはワンカップ大関を持った集団が、というようにそれぞれの縄張りを認識できるまでになっていた。ハンチング帽達は、かなり真剣に競馬に取り組んでいるようで、赤ペンを耳に掛け、最後の直線に入ると、「差せ」だとか「そのまま」だとか「戸崎!」だとかの声を上げていた。反対に、ワンカップ大関達は比較的穏やかな集団で、お互いの話に夢中になって馬券を買いそびれている姿をよく目にしていた。そんな中、ワンカップ大関はたまに話しかけてくることがあった。

「あんちゃん、何番の馬買ったんや?」

「三番です。」

「おお、ワシも同じや。あんちゃん頭ええのう。どこの大学や?」

「すぐ近くの大学ですけど。」

「おお、やっぱ頭ええんやな!ワシは中央大や!昔の中央大といったらな、今と違ってな…(略)」

「はぁ。」

そんな話を聴いている最中、三番の馬は出遅れ、馬群の中から抜け出せずに終わった。ワンカップ大関は、直線を迎える前にその場を離れ、持ち場の机で他の大関達と談笑していた。速い逃げ足だった。

本当にどうでもいいやり取りなのだが、あれから数年経った今でも昨日のことのように思い出せる。上手く言葉に出来ないし、する必要もないのだが、あれが学生時代で一番の社会勉強だったように思う。

一番人気だった馬券をゴミ箱に捨てて、あの時も同じようなレースだったよな、と懐かしくなった。そういえば、あのジジイ達はどこに行ったのだろうか。ケンタッキーはもう無くなってしまったし、銀だこも、若いカップルや家族連ればかりで、とてもあのジジイ達が入り込む余地なんてない。他の人が少なそうな場所も探してはみたのだが、ただハンチング帽を被っているだけのオジサンだけで、ましてやワンカップ大関を飲んでいる人などいなかった。きっと、コロナの影響で競馬場に入るのにもネット予約が必要になったせいで、来れなくなったのだろう。寂しいけれど、必然。そして、その寂しさが、僕が競馬を楽しめていない理由とイコールだったことにやっと気づいた。

ちょうど四年前の天皇賞(秋)。競馬初心者だった僕は、直前までどの馬に賭けるべきか悩んでいた。競馬場内をふらふらと歩きながら考えていると、ジジイ達の声が耳に入ってくる。

「ワシはスワーヴリチャードや」

「ワシもや!」

「スワーヴ以外、有り得ん!」

目を向けると、ハンチング帽達だった。当時、スワーヴリチャードは一番人気。結局、上位人気で決着が好きな彼らが推すのも納得だ。他の意見も聞いてみようと、ケンタッキーに向かうと、ちゃんとワンカップ達もいた。彼らの声に耳を傾けると、マカヒキ単勝、という単語がよく聞こえてきた。なるほど。単勝一本勝負な彼らにとって、三番人気のマカヒキが来ると、なかなかおいしい思いができる。両者の話を聞いた僕は、間を取って、二番人気のレイデオロに賭けることにした。

レースは、六番人気のキセキが逃げ、他の馬達が追う展開。膠着した展開のなか、四コーナーを回ってキセキが三馬身ほどのリードを保ったまま、最後の直線に突入。レイデオロは五番手あたりから必死に追い出すが、なかなか差は縮まらない。単勝馬券を強く握りはするのだが、残り四百メートルを過ぎたあたりから、目はキセキの走りに惚れてしまった。結局、ゴール間近でレイデオロがキセキを差し切り、騎手のルメールがガッツポーズを炸裂させるのだが、馬券が的中した喜びよりも、一円も馬券を買っていないキセキへの驚きが優っていた。

そして、今年の天皇賞(秋)。僕の本命は一番人気のイクイノックス。春の日本ダービーでも本命にしていたのだが、僅かに届かずの二着。あの直線の続きに期待して、今回も本命に推した。

大歓声のファンファーレを終え、ゲートが開かれると、七番人気のパンサラッサが逃げる。あの時のキセキのように、いや、それ以上に逃げる。後続との差はみるみる広がり、場内にどよめきが起こる。十馬身以上のリードを保ったまま、最後の直線に突入。必死で逃げるパンサラッサに、後方からイクイノックスが猛追。「行けー!」と叫ぶが、それがどちらへの声なのかは、もう分からない。だが、ちょうど僕の目の前に差し掛かったとき、イクイノックスがパンサラッサを交わす。そして、あの日と同じように騎手のルメールがガッツポーズを決める。その直後から、僕の心の中は、ぐちゃぐちゃにリフレインを繰り返していた。

 


その日の夜、東京に住んでいる昔の友人達と久しぶりに飲んだ。結婚式場探しが大変だとか、部活の顧問をするのが大変だとか、転職がどうだとか。四年前とは全く違う話題で盛り上がっているのが、おかしく思えた。

キセキやレイデオロワンカップ大関達がもう競馬場にはいないように、僕たちの立場も環境も、あの頃とは全く違う。無責任極まりなく勝手に夢を語っていた僕達は、もういない。だけども、記憶に残る逃げ馬がいたり、ルメールのガッツポーズのように、変わらないものもある。そして、それに救われる自分がいた。

だから行ったんだな、天皇賞(秋)

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