ロックンロールをもう一度
新幹線から流れる風景は一瞬で消え去るし、どれも似たようなものだから特に面白いものではない。延々と続く田畑と乱発的な住宅街を見てよくこんなところで生活できるよな、なんて思うこともある。けれど東京駅に近づいて大きなビルや超長い電車を見かければ同じことを思ってしまう。僕もこの街に住んでいるのだけど。
年末年始に帰省して多くの人と話す機会があった。そこで話題に上るのはやっぱり大学卒業後のこと。僕は院に進学予定なので就活はまだ先のことであるが、文系に所属する人などは次の春から働くために頑張らないといけない。民間企業や公務員、さらにはパトカー(警察官)になりたいと言う人もいた。みんな色々だなぁ、と思いながら聞いていたけど就職を機に東京や大阪に出ていく、もしくは金沢に戻るなんて人も多くいて少し驚いた。
僕は大学で東京に出てきたから就職なんて別にどこでもいいし(鳥取・島根・沖縄は除く)特に地元に戻りたいなんて思いもない。だからなるようになれ(鳥取・島根・沖縄は除く)とは思っている。まぁ、特に働くことに関して職種や賃金、待遇の要求はあっても場所なんてどこでもいいのだ(鳥取・島根・沖縄は除く)
だからこそ就職するにあたって場所にこだわる人がそこそこいて多様だなぁ、なんて思うのだが同時に僕は保守的な人間になってしまったのでは?なんて思うこともある。
2016年の僕は色々と辛い経験をして、幸せなんてそうそう手に入らないものだし夢見るだけ無駄。家なんて買うだけ無駄。結婚はしたいけど子供なんていらない。こんな時代に生まれてくるのは可哀想。なんていう殻に閉じこもったような思想を持つようになった。これは"楽して生きる"という僕の人生のテーマを楽して達成するには不可欠なものなので今後もそんなに方針転換することはないと思う。
それゆえに人生に希望を持つ(対企業相手に勤務地という自らの希望を叶えたいという思い。実際これは公務員にでもならない限りはハードルは高い。)みんなに感動したのだ。
僕は僕でみんなはみんな。互いに影響し合うことなんてそんなにないけど、もうちょっと僕は夢見て生きてもいいんじゃねえかと思ってしまった。絶対にリストラされないぞ!とか。年金は意地でも貰うぞ!とか。
これから働けば嫌なことを知っていくし、人生も縛られていくだろう。守らなきゃいけないものも増えたり亡くなっていくものもあるだろうけど、それもまた人生(引用:GUCCI)である。それにこれから日本では制度的にも景気的にも僕ら世代は大した恩恵は受けることもないだろう。搾取されてばかりだろう。給料の内訳を見て天引きされる額に目玉が飛び出るだろう。
そんなことが日常と化したとしても僕と僕の周りの人だけ絶対的にちょっぴり幸せであればいいな、なんて思う。そんな願いは世間一般では当たり前のことだとしても僕の中では大いなるロックンロールなのだ。
(東京へ向かう新幹線の中で執筆)
思い出はメモリー
大学一年の時に落とした授業の中間テストを受けたのだけれど、明らかな三年間の成長を感じた。
まず、テスト以外に出席しないこと。そして過去問の入手スピード。一度犯した過ちは二度と繰り返さないという覚悟は、僕の努力を引き出すのではなく情報と策略を与えてくれた。当然、テストは問題なく回答し他の情報も策略も皆無で努力しかない一年生を横目に満足気な表情を披露できた。
なんの努力もしていない僕が努力しかしていない人を圧倒できたのはやはり、スマートフォンの力が大きい。いつでもどこでもインターネットにアクセスが可能で、写真も数千枚保存でき、いつでも見ることができる。その有り余る性能を利用して、マレーシアに留学中の友人から過去問を入手し、ツイッターでテスト実施日を知り、他の出席必須な授業時にダウンロードした過去問を凝視しひたすら回答を暗記した。
もしスマートフォンがなかったら僕はまたみじめな想いをしていたのかもしれない。
そんな有意義な機械でも時として自分を苦しめることもあるのではなかろうか。散々今までにも書いてきたが僕は猫アレルギーだけど猫が大好きだ。Instagramで毎日猫チェックだってしている。
その飼い主たちは自分の猫の可愛さを他の人にも知ってもらいたいって思いももちろんあると思うけど、自分と猫との思い出をインターネットを通じて少しでも痕跡を残したい、という気持ちもあるんじゃないだろうか。
僕が猫を飼っていた小学生時代はスマホなんて便利な道具は無く、きっと大学生も真面目に努力していた時代だったろう。だから、その猫の写真なんてほとんど無くて、あったとしても僕が産まれる前の物ばかりで辛うじて僕が一歳にも満たない時期のツーショットがあるくらいだった。つまりは僕の記憶にある猫の姿は何一つ残ってないのだ。祖母の寝室に火葬した際の頭蓋骨は常に置いてあるのだけれど。
何も思い出が残ってないと言うと悲しく聞こえるかもしれないけど、反対に考えれば僕にとって彼女を振り返れるのは自分の記憶を辿るのみで、しかもその記憶も徐々に他の物に上書きされて薄れていってしまう。だからこそ、悲しみが襲ってくることも無いし、自然とそんな時もあったな、いい思い出だ、ということで脳みそくんが整理してくれる。
もしもインターネット上に無数に写真が思い出が残っていたとしたら。スマホの写真フォルダに常に残っていたのなら。スマホを使う度に思い出し、脳みそくんがどう整理したとしても何度も引っ張りだされてまた散らかってしまう。その度に悲しみに暮れるのこそ一番悲しいことなのかもしれない。
この時代ではいつだってどこでだって思い出をメモリーする手段はあるけれど、良い思い出も忘れていってしまった方が、数十年後には良いのかもしれない。
振り返って見れば友達と行った美味しいご飯屋さんも、旅行の思い出もひとつひとつ丁寧に写真を撮っていたのは、写真を撮らねば忘れてしまう、という恐怖心もあったのかもしれない。だけど、忘れることも悪くないな、なんて思えれば大切な思い出はきっと忘れないと思うし、ずっと心に残るはずだ。
そんなことを宇宙流体力学テスト前日(ノー勉、過去問未入手)に考えている僕。今は圧倒的に覚えることの方が重要だというのに。。。
※思い出はメモリー。力こそパワー。毎日がエブリデイ。
Wi-Fi回線より祈りを込めて
死んだ。Instagramでずっと見守ってきた猫が死んだ。彼女は元野良猫でこれまで暮らしてきたのだが、晩年に現在の飼い主に拾われ、その一生を終えた。色もはっきり言ってしまえば汚い茶色で、毛並みもまったく整っていない。醜い猫だ。けれども毎朝、Instagramで更新される彼女の生存報告にほっとする自分もいた。理由はわからないけど。
亡くなった際に飼い主の報告の文章に少し気になるところがあった。
「○○ちゃんはお空に還りました。」
最初は何気なく見過ごしていたけれど、よくよく考えれば変だな、と思うところがある。もちろん宗教観にもよるのだが、少なくともこの日本では人間や動物(野菜とかわからんが)が死ぬとその魂のゆくえは知らずとも、とりあえず空に昇っとけ精神があると思う。
芥川龍之介の小説、蜘蛛の糸なんて最高の代表例ではあるが、やはりみんなどこかで天国は上、地獄は下って概念があるんだろう。
そもそも天国とか地獄とか信じてねーし、無宗教だしって思ってる人もさすがに愛猫が亡くなれば空を多少なりとも見上げんじゃね?って思う。そう考えれば日本ってのは宗教が意識せずとも徹底された国なんだろう。きっとインド人ならガンジス川に祈りを捧げるんだろうし。
そんなことを考えていたら、この前帰省したときに祖母に言われた言葉を思い出した。
「わたしが死んだ時は天国にも地獄にも行かず、あんたに憑依してやる」
何気ない談笑の中で突然これを言われて背筋が凍ったが、よくよく考えれば80過ぎたばあさんのくせに柔軟な思想してんなー、と思う。
そんなばあさんに見習って僕が死んだら僕はどうしようか、とか考えてみる。死ぬ時のシチュエーション。病死、殺害される、安楽死、憤死。そもそも死んだらやっぱり僕って概念は完全に消え去るのだろうか。色んなことを想像するけど、きっと僕の体から僕の魂が消えたとしてもばあさんの魂は粘り強く残ってんだろうなぁ、なんて思う。よって僕は永久に不死身である。
死ぬのは痛そうだし、怖いし単純に嫌だけど死んだらどうしよう、なんて自由に考えられれば少しは毎日楽しくなるかなって思う。Instagramの死んだ猫は今ごろ何してんだろうな。。ニンジンとかに生まれ変わってんのかもね。
(ガスタービンの講義中に最前列で執筆)
LAX&SFO旅行記 ロサンゼルス編2
どうも、久しぶりに春休みに行ったアメリカ旅行を夏休みになった今、再び書こうと思います。どんだけ遅筆なんだ、おれ。。。
とりあえずロサンゼルスで初めての朝を迎える。うむ、暇だ!予定など何一つ決めてないので何したらいいかも全くわからないが、海が近いということでサンタモニカってところに行くことにした。
バスを乗り継いで行くのだが、どのバスに乗ったらいいのかも、どうやって乗ればいいのかも分からないのでとりあえず目の前にきたバスに乗り込んだ。運転手にサンタモニカまで行きたいからどうすればいいんだ、と尋ねたら1日フリーパス的なやつを勧めてきたので買うことにした。たしか6$くらいだったと思う。だけど僕は小銭持ってなかったんで日本のバスについてるような両替機を探したんだけど、アメリカのそれには無くて近くにいたおばちゃんが両替してくれた。日本から来たんだっていったら50セントくらいお小遣いくれた。サンタモニカのおすすめスポットも教えてくれた。なんだか日本よりも人の温かみを感じた。たぶん、日本で外国人がバスで両替できねー!ってなってたらみんな白い目で見ると思うんだけどアメリカだとおばちゃんだけでなくみんなちょっとニッコリして温かく見守ってくれた感があって嬉しかった。
まぁ、そんなこともあってサンタモニカに辿り着いた。ちなみに飛び乗ったバスは全く違う方面行きのもので周りに何もないクッソ田舎なところで降ろされて1時間めちゃくちゃ暇だった。
海。まぁ、たいして日本の海と変わらなかったから特に感動とかはしなかった。
全体図。けっこう人が多くてカップルがすごかった。何がすごいって人前でキスしまくるのな。昨日のベットの下でヤってた事件もそうだけど羞恥心のラインはどこなんだろうか。。。
遊園地も併設されていてジェットコースター的なものもあった。この前、youtubeでGTAの実況動画見てたら実況主がヘリコプターでこの遊園地を破壊してて感慨深い気持ちになった。
まぁ、海に来たところで暇なんで近くの繁華街を見て回った。途中で化粧品売り場のお姉さんに声をかけられ半ば強制的に洗顔された。あなたとってもカッコいいんだけど鼻がダメ。鼻の角質がダメ。汚い。と言われて心が砕けた。だけど綺麗にしてもらったので許す。
お腹が減ったのでごはんを食べることにした。やっぱりアメリカと言ったらハンバーガーだろう、ということで表参道とかにありそうなハンバーガー屋に入った。
写真だと分かりづらいけどかなりボリュームがあって味もとても美味しかった。コーラを飲み干す度にタダでお代わりをくれて初めてアメリカに来たなぁ、と実感した。
この後は…、と書きたいところなのだが記憶がない。この後何したかも何食べたかも記憶がない。夕方に道端ですれ違った小学生と軽くサッカーやってバカにされた記憶はあるけどそれ以外全く覚えてないのでロサンゼルス編はこれで終了とする。
次回はサンフランシスコ編を書きたいと思う。現地の人と意気投合したり、まさかの帰国不可能な事態となり一瞬だけホームレスと化した悪夢の事件とかも書きたいと思う。お楽しみに!
LAX&SFO旅行記 ロサンゼルス編
どうもお久しぶりです。
このところ多忙でなかなかブログすら書けない日々が続いておりましたが、やっとひと段落したので放置してたアメリカ旅行記の続きを書きたいと思います。それではー
〜前回までのあらすじ〜
ロサンゼルス国際空港に到着した僕はいざ宿へ向かわむとするも、移動手段が下調べしていなかったために全くわからないという緊急事態に!さぁどうなる?!
ということで、とりあえず着いたはいいもののどうしたらいいのかわからなかったので空港を徘徊。テキトーに歩いてたら外に出られた。というか出てしまった感。僕が持ってる唯一の情報は家で印刷してきた宿のグーグルマップでの地図。これを頼りにバス乗り場と思わしき場所に行ってみると太ったババアが「hey! boy!何処へ行くんだい?」とRPGゲームの如く尋ねてきたので、地図を見せて説明すると、私に任せろ、お前はそこで座ってろと言ったきりどこかへ消えてしまった。
命令を忠実に守ること20分、再びババアが現れ僕をトヨタのランクルみたいな車に詰め込んだ。車には陽気なレゲエが流れ、黒人の強そうな兄ちゃんが小刻みにリズムに乗っていた。全てがされるがままでさすがに怖かったので、料金とマジでホテルまで連れてってくれるんだよな?!としつこく確認すると、リズムに乗って心配すんじゃねぇよ〜と言われた。
これが実際の車と乗り場の様子。クソ蒸し暑かった。
車を走らせること約30分、宿に着いた。料金は15$。目的地の目の前まで届けてくれて、しかも低価格。かなり良心的であった。後で調べてみるとスーパーシャトルとかいうやつで、現地の人たちはよく使ってるみたい。日本からの観光客はあまり使ってないらしい。日本語サイトには難易度は高め的な記述があったけど、正直無知な僕でも使えたんで高校英語まで真面目にやってれば誰でも問題なく使えるんじゃないかなって思う。
そしてこれがロサンゼルス編の宿。僕はあまり金を持ってないので、いわゆるドミトリーという1つ部屋に複数のベッドがあって他人と一緒に住む的なホテルに泊まりました。一泊30$程度で泊まれるんで貧乏旅行には最適かと。
いざホテルにチェックインするときにアメリカに来て初めて本格的に英語を喋る。受付の姐さんがいろいろ説明してくれるんだけど、早すぎて何言ってるかわかんねぇ!辛うじて部屋番号と朝食場所だけ聞き取れたので困りはしなかったけど、これまで受けてきた英語教育の無意味さを痛感。無念の想い。
宿に到着した時間がPM8:00頃。飛行機の中で爆睡したので正直そこまで眠くないので辺りを散策!
散策すると何やらHollywoodとかいう看板が。え?もしかしてここハリウッドなの?と思いバス停の名前とか調べてみると明らかにハリウッドだった。驚いた。まさか宿がハリウッドにあったなんて。
まぁ、街を徘徊したところで貧乏学生に出来ることなんて何もなく雰囲気だけを味わっていた。面白かったことといえば普通にピストルが売ってたことくらいかな。映画ファンだったらたまらないんだろうなぁー、と思いつつ宿に戻った。
ハリソンフォード。顔は思い浮かばないけど、名前は知ってた。
宿に戻ってフラフラしてたら何やら日本語で話しかけられた。?と思って振り返ってみると日本人の美人なお姉さんがいた。完全に想定外の事態にブルッたが、このお姉さんが街のこととか交通手段のこととか色々と教えてくれた。そしてあまりの僕のノーガード戦法に爆笑してた。その後は彼氏とLINEでビデオ通話を急に始めやがったので絶望を感じながら退散。
宿を散策すると奥の方の部屋から笑い声とギターの音が聞こえてきたので侵入した。そこは小さなbarみたいなところで宿泊者たちの触れ合いの場みたいなとこだった。テキトーに空いてた椅子に座って音楽を聴いてたらいろんなやつが話しかけて来てくれた。僕と同じく春休みを利用して旅行に来たドイツの大学生とかフィンランドの学生とか早稲田大学の学生もいた。
こいつらは本当にいい奴らで僕の下手くそな英語も真剣に聞いてくれて、僕に理解できるような英語で話してくれた。めちゃくちゃ嬉しかったけど、同時にめちゃくちゃ悔しかった。よく学校なんかで英語なんて通じればいいんだよ!なんて言う奴がいるし僕もそう思ってたんだけど、「通じるだけ」だと深いコミュニケーションは取れないし、本当の気持ちも分かり合えないし、何よりクッソ惨めな気持ちになるんだぞ!と忠告しておきたい。
で、一番印象に残ってたのがフランス人のガブリエルって奴で自称小説家である。僕もそれなりにブログは書いてるし高校のときは高校生ブログランキング1位(デイリーランキング)にも上り詰めたことはあったので、俺も小説家なんだよ!とテキトーに言ったら何と意気投合。日本のアニメに興味があるらしくデスノートが大好きなんだとか。やっぱり日本人として今日本で最も熱いアニメを紹介せねば、と思いて僕は颯爽とラブライブ!を画像付きで熱心に紹介した。
図1 ラブライブの様子
説明を受けたガブリエルはCrazyと発して酒を飲み干した。
一通り英語の壁を実感しつつ僕はベッドに入った。いくら飛行機で爆睡したとはいえ、慣れないことの連続ですぐに寝れた。のだが、その2時間後。。。
ベッドがめっちゃ揺れてる!なに?地震とか思っても他の人たちは起きないし大丈夫かぁ、と思って再び寝るもやはりずっと揺れてる。明らかにおかしい。下のベッドから揺れが伝わってる。これはもしや…、と思っていると金髪の女が部屋の明かりを急に付けて「ヤッてるのはだれだー!!」と叫んだ。その瞬間僕の下のベッドから男女二人組が全裸で現れ、ダッシュでシャワールームへと駆けて行った。
なんかショックだった。自分は何も悪いことしてないのに何だか悪いことした気分になった。そして再び眠りにつくも1時間後、再び揺れが始まった。ついでに喘ぎ声まで聞こえてきた。さすがに僕も感覚が麻痺してきて下のベッドでヤッてるのが当たり前と思うようになってしまって、下から伝わる振動が心地よく感じてきてそのまま眠った。
今回はここまでです。次回はロサンゼルス編を最後まで書きまーす。サンタモニカで美女の気を惹こうと必死に僕が頑張る話です。