NIKKI

なんかお腹痛いなぁ…って思った時に書いてるブログ

やっぱ好きやなぁと思うアルバム10枚

 

1枚目

Cory Wong / Motivational Music for the Syncopated Soul

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最近よく聴いてるのはミネアポリスファンクの申し子Cory Wong。カッティングギターなら世界で1番うまいんじゃないかって言われている。古臭い音楽も新しい音楽も両方できるのが素晴らしい。彼がサポートメンバーで入っているVulfpeckってバンドもなかなか良い。

 

2枚目

くるり/言葉にならない、笑顔をみせてくれよ

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邦楽ではやっぱりくるり好きやなぁとつくづく思う。素朴なんだけど癖がある雰囲気が好き。このアルバム収録の魔法のじゅうたんの歌詞が心に刺さる。

 

3枚目

サニーデイサービス /愛と笑いの夜

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サニーデイはギターの音がめちゃめちゃいいよね。ダサい歪ませ方しないし。このアルバムだと96粒の涙のギターがドストライク。こんなん弾けたらモテるんやろなぁ〜と思うけど別にやらない笑。

 

4枚目

ブラッドペイズリー/Mud On the Tires

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たまーにカントリー聴きたくなる時があって、でもカントリー詳しくないし何がいいのか分からんので、とりあえず生で!と同じノリでブラッドペイズリーを聴いてる。正統派カントリーだと思う。カントリーしらんけど。

 

5枚目

ジェイコブコリアー/Pure Imagination

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一人で作詞作曲、すべての楽器の演奏までできるスーパーマン。自分の部屋で曲の収録はやっちゃうらしい。天才子供部屋おにいさん?笑 このアルバムは有名曲を彼風にアレンジしてカバーしたもので、スティービーワンダーのIsn't She Lovelyのカバーがめちゃめちゃ良い。でもこれ自宅で録音してたらお母さんどう思うんやろ?って考えてしまう。なぜこう思うかは聞けばわかる。

 

6枚目

ジミヘンドリクス/Are You Experienced

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運転中によく聞くジミヘン。基本窓全開にして運転してるから駐車場に大音量でジミヘン流しながら入っていくと遭遇した人にナニコイツ?って目で見られる。かわいい見た目したストラトキャスターからこんな音でるんかよって想像を超えてくるのがジミヘン。例えるなら原宿にいるかわいい女の子がギャル曽根並みに大食い的な。

 

7枚目

空気公団/夜はそのまなざしの先に流れる

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空気公団は聞きやすいし音もいいし、ちょうどいいバンド。個人的には日本語表現が上手いと思う。感情の抑揚を必要最低限に抑えて、抑えた分は楽器でカバーするってやり方なのかな。無駄に愛してる!君が好きだー!とかしょーもないこと歌うよりはこのやり方のほうが伝わるよなぁーと思う。

 

8枚目

cero/Obscure Ride

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個人的イチオシバンド。このアルバムには入ってないけど街の報せって曲のライブ映像がYouTubeにあってこれがすごいいい。深夜にコンビニ行く時に聴きたくなるバンド。

 

9枚目

台風クラブ/初期の台風クラブ

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初期の台風クラブとか言っておきながら、まだこのアルバムしかリリースしてない。いったいいつ中期になるのか。けっこう待ってるんだが…笑。この前友達とキャンプに行った時にロックとロックンロールの違いは何か?ってお題で一晩中喋ってて結局よくわかんなかったけど、このバンドは間違いなくロックンロール。メロディもギターもめちゃめちゃかっこいい。こういうバンドがもうちょいちゃんと売れないとダメだろ〜って思っちゃうくらいにいい。運転中によく聞くアルバムその2

 

10枚目

ボブディラン/Infidels

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アルバムジャケットを見て思う。ボブディランってこんな顔やったんか…と。ボブディランってノーベル賞のせいでどんな曲聴いてもなんか深いこと歌ってるんやろなぁ〜と思いながら聴いてしまう。実際なに言ってんのか知らんけど。このアルバムはなんといっても最後の曲のDon't Fall Apart On Me Tonightに尽きる。ディランまったく知らん人でも1番有名な風に吹かれてとか聞くよりこれ聞いた方がディランの魅力がわかる!はず…

 

11枚目

プリンス/Sign Of The Times

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10枚目と宣言した上でテキトーに書いてたらあっという間に10枚目になっちゃったけど、やっぱこのお方を外すのは失礼だと思ったのでラストにプリンスの超名作を。一曲目のSign of the Timesは聞けば聞くほど味が染み出るこれぞスルメ曲。プリンスってこんな爽やかな曲も書くんすねって思っちゃうI could never take the placeやStarfish and Coffeeもいいし、プリンスファンクの真骨頂Housequakeも最高。そして最後の曲のAdoreが本当に素晴らしい。プリンスの引き出しの多さが存分に発揮されたアルバムだと思う。しかしプリンスは多作すぎて死後もどんどん未発表曲がリリースされていく…。生前のアルバムも聴ききれてないというのに。一体どんだけ創作意欲高かったんだろうか。。

 

 

(最近は"転がる石たち"を勉強中…)

なぜ人はエロ動画に中出しを求めるのだろうか

 

わかる人はわかると思うけれども、AVいわゆるエロ動画の人気ジャンルの一つに中出しがある。わからない人に詳しく説明すると男優が険しく反り立つ如意棒を女優のブラックホールの中に挿入し、そのまま射精するというジャンルである。重要な点としてあげられるのは、まず第一にコンドームを装着していないこと。そして、擬似精子を用いていないことである。つまり、避妊せず妊娠の危険を伴った性行為の観戦を多くの男性が熱望しているのである。

しかしよく考えてみて欲しい。男女の性行為や女性の身体を見て興奮するのはわかる。特殊な性癖やフェチズムがあるのもわかる。一番分からねえのは中出し、おめーだ。AVというのは出演する男女が愛を確かめ合うのではなく、それをパソコンやテレビ、スマホを通して真剣な顔で視聴している男性を興奮させることが目的なのである。であるならば、そこに妊娠リスクが必要になる理由がわからない。第一、本物の中出しだったとしても女優はピルを飲んでいるだろうし、本当に妊娠するということはありえない。それはもちろん視聴者の皆さんは理解している。なのに大衆は皆、中出しを求める。よくAVサイトのコメント欄には「これは擬似中出しですね。がっかりです。☆★★★★」「参考になります!ありがとうございました!」という高尚な会話が繰り広げられている。一体彼らは中出しに何を求めているのか。

 


乱立する都会のビルの工事予定も、その地下を走る地下鉄のダイヤも、この日本社会においては全てが正確に刻まれていく。目的地までの道のりが分からなくてもスマホがあれば問題はない。あまりにも便利で、かつ正確な環境で生きている僕たちはそれに慣れすぎたのかもしれない。その弊害なのかめんどくさいクレーマーやモンスターペアレントTwitterで正義を振りかざして絡んでくるフォロワー0人のタマゴアイコンの人とか。どっからそんなに怒りの感情が生まれてくるんだよって人間がうじゃうじゃ見えるようになってきた。で、結局やつらは何に対して怒っているのかを考えてみると、嘘をつかれること、騙されることに対して声を上げてるんじゃないかと思う。芸能人の不倫だって実際僕らの生活に関係ないし、アンジャッシュのコントの面白さが変わるわけではないよね。だけど、佐々木希という綺麗な嫁がいるのにも関わらず多目的な場所で複数の女性と多目的な関係を結んだ、というのが想像と違う!騙された!って感情を誘発し、炎上していくのであろう。

 

 

つまりはこれ、中出しと一緒。どういう経緯で中出しというジャンルが登場したのかはよく知らないけど、それが出てきたのならしょうがない。AV業界としては中出しがスタンダードになっている今、中出しをしないわけにはいかない。けれども大半の女優は中出しを嫌がる。そこで編み出されたのが擬似精子なのである。それっぽい白い液体で視聴者を欺くという手段を取ってきたのだ。こうなってくると視聴者側としては特に中出しを求めているわけではないのにも関わらず、たまたまみた作品が中出しを全面的にアピール→実は本物の中出しではありませんでした〜という不意打ちを食らってしまうのである。この攻撃を受け続けた視聴者の中からごく稀に中出しに対して異常な執着心を持つものが現れる。自分と同じ被害にあって欲しくないという正義の心を持ったその人は、あらゆる作品の中出しが本物かどうか判別しコメント欄に情報開示してくださるのだ。そのうちそのレビューには多大な支持が集まり、やがて大衆は深く考えることもせずに中出しに熱い思いを抱くことになる。もうそこにはエロとかそんなのは関係ない。"騙されたくない" この感情が全てなのである。

 

 

自分が本当に求めているものは何だろう?とか、実は中出しである必要ってないんじゃないかな?と考えてみることとか。ふと立ち止まって整理してみると、いろんなことが見えてくる。そんなことを考える時にはいつもと違う景色、環境があると思考は進む。なるべく人も少ないところの方がいい。ということでやっぱね、山に登ろう⛰自然と遊ぼう🌲

正しい卵の買い方について

 

 

よくスーパーのセールで卵○○円!!とチラシに載っているのを見たことがある。そんなのにつられていつもと違うスーパーに行くことなんてあるんかね、とあまり自炊しない僕は思うのだが、そんな僕でも卵が欲しくなるときはある。たいていそういう時は突然やってきて、仕事の終わり際に「あ、なんか卵かけご飯食べたいかも」と思う。僕というなまけた人間は、卵料理というか生卵をそのままぶっかけたようなものしか思いつかないので、正直なところ欲しい卵は一個だけなのである。けれどもスーパーで売っている卵は6個入りと12個入りの2パターンくらい。しかも今日行ったところだと6個入りで150円、12個入りで180円と量が倍も違うのに値段はさほど変わらない。そうであるならば、と迷わず12個入りを購入。まーいつか使うっしょと未来の自分への期待を胸にお会計を済ませる。

それから2ヶ月後、パックに残っている卵は11個。賞味期限は切れ、冷蔵庫の最古参となった卵は自分たちの出番がないことを悟り、サルモネラ菌との融和を果たしてしまった。果たしたところで卵に用が無い僕には関係のないこと。そっちはそっちで好き勝手やってくれや、と思うのだがある日突然卵が食べたくなる。卵かけご飯が食べたい。その一心でスーパーへ向かうも卵売り場の前で思い出す。冷蔵庫に卵めっちゃあるやん。どーしよ、あれどーやって処理すりゃええんやろ。悩んでいるうちに惣菜コーナーでは半額シールが貼られ、おのずと足はそちらへと向かい、完全に卵のことは頭から消え失せる。卵が欲しいのに(食べれない)卵があるが故に(食べれる)卵が買えない。虚しい結末。

それから2週間後、ふとした拍子に冷蔵庫の卵を捨てる。申し訳ない気持ちでいっぱい。どうして僕はこんな無駄なことを、と思うけれどもスーパーの卵は無精卵だから命無駄にしてるとかじゃないからおっけー理論で自己肯定に走る。

さらにそこから数週間後の今日。突然卵かけご飯が食べたくなる。欲しい卵は一個。12個入りは180円、6個入りは150円。それならば、と未来の自分に期待して12個入りを購入。歴史は繰り返されるのだろうか。

現在の卵残機数:11

寂しさを埋めるくらいなら

 

 

半年か1年くらい前から1ヶ月に一回くらいのペースで大量の血便が出るようになった。便器が鮮やかな赤で染まるほどの。どーせ痔だろって思ってたんだけど、看護師の友達に面白半分で肛門壊れたんやけどwwwってLINEしたら急にマジなテンションでできるだけ早く病院行け!って即返事返ってきてしかもここの病院行けってとこまで言ってくるもんだから、え?もしかしてやばいんすか?とようやく事態を把握し始めた。"慣れ"というものは時に恐ろしい。1ヶ月に一回急に便器が真っ赤になるという通常あり得ないことを半年以上も続けたせいで、それが当たり前だし生理かな?くらいにしか思わなくなっていた。それにあまりにも鮮やかな赤色なので綺麗だなぁ〜とか、むしろ血便出た日はラッキーみたいな捉え方をしていた。きっとそう考えることで恐怖から逃げ、現実から目を背けていたのだろう。だけども僕は明日、ついに大腸内視鏡検査に挑む。自分の肛門ととことん向き合う。最悪癌が見つかったとしても残りの人生楽しく生きていくしかない。人生いつだって目標はG1制覇。

 


心の中ではどうせ痔でしょって思ってるからこんな余裕なこと言えるんだけど、現時点では癌の可能性はわずかに残ってるわけでこんな状況なかなか若い時に巡り合えない。だからせっかくだしもしも癌だった時のこれからを考えたら急に寂しくなってきた。せっかく車買ったんに意味なくなるんかなーとか、結局愛とは何かわからんままやったなーとか。あの時こうしていればとか思うけど、どっちみち肛門からめっちゃ血でるし、もし婚約者がいたらもっと辛かったんやろうなとか考える。仮に癌でもう死ぬよってなれば残りをどうやって生きていきたいのか10秒くらい考えた結果、誰かにずっとそばにいて欲しいと思った。その人の人生を捧げるくらいに。めちゃくちゃわがままだけど。しかも別に誰でもええわって思った。さすがにその辺のおばさんとかは嫌よ笑。

 

 


結局寂しさなんてそんなもんで、常に誰かで補えるものだし特定の誰かである必要は根本的にはないのかもしれない。だから不倫とか浮気は消えないし、今宵もどこかで意味のないセックスが消費されていく。寂しい人同士が繋がれば結局そうなる。くだらねー。目的を果たすためだけにおちんぽを挿入されてる女がいる一方、僕はひとり孤独の中で肛門に内視鏡カメラ挿入ですよ。でもセックスに自分が消費されていくくらいならこっちの方が全然いいや。どんなに寂しくてもひとりで酒飲んで飲みまくって血便出してまたカメラ挿入する方がいいや。寂しさに寄り添うことで優しさを演じることは一時的にはいいのかもしれないけど、寂しくなくなったらお互い必要なくなるでしょ?そうやって別れて寂しくなってまた別な誰かと寂しさを埋めあって。人間ってこうやって循環してるんだなって。こんなこと大腸内視鏡検査を受けることにならないとわからなかった。この検査は人によっては激痛らしいんだけど、今の僕には受ける価値がある。受ける前から人生というものがわかった。本当にありがたい。そう考えることで明日の検査の恐怖から逃れる僕。本当は誰かに大丈夫って言って欲しい。めっちゃ不安やし寂しい。ほんとクソだね。糞したら血めっちゃでるけど。

 

 

 

(最近ビートルズのIn My Lifeの歌詞が心に響く。一見単純にみえるかもしれないけどあの歌詞は色んなこと想像できるよ。ほんと。)

人が死ぬこととか

 

 

朝起きて、野村監督が亡くなったというニュースをみて少し感傷的な気持ちになった。僕は別にめちゃくちゃ野球好きってわけでもないし、野村監督のファンって訳でもないけど、夜10時くらいのスポーツニュースで野村監督のボヤき解説を見ながら酒を飲むのが楽しかった。もちろん野球選手としても人間としても素晴らしい人だと思う。だけど僕が感じた哀しみはそんなものが起源ではないような気がした。

 

 

 

 

人の人生ってなんなのか、なんのために、というのはずっと抱えてきた疑問。たぶん答えはない。だけどいつかは自分は死ぬし、その間に知らない国の誰かや大切な誰かも死ぬ。命の誕生に巡り合えるかもしれない。命が生まれて消えてその過程に何を求めればいいのやら。消費していく毎日に何を求めて生きているのか。なーんにも考えないまま朝起きて歯を磨いてうんこしてご飯食べて、仕事とかなんか色々がんばって風呂入って寝る。たまに友達と飲んで楽しい。一人で日本酒飲むのも楽しい。好きな馬が勝つと嬉しい。日々を彩る何かが僕を支えてくれる。遠くの誰かがやっていること、考えていることがいつか繋がるかもしれない。そうやって毎日が消費されていく。何も考えない、というか考えたくない。と言いつつも考えてしまうけど。生きることに目的とか使命があればそれに縛られてしまう。楽しく酒が飲めなくなるかもしれない。そうならないように、そうしないように歩いている。

 

 

 

そうやって描いていく人生の終わりに何が残るのかと言われるとわからない。野村監督は明らかにいろんなものを残して亡くなった。それは野村監督の死を悲しむ人、惜しむ人、感謝の気持ちを伝える人の多さを見てればよくわかる。そこに生きてきた価値があるんだと思う。ただ太陽の動きに合わせて生きていくだけではそんな人生にはたどり着けないだろう。それがなんとなく感じ取れたから僕は哀しくなったのかもしれない。自分が死ぬときに、死んだ後に誰かが何かを思えるような人生であれれば。誰かが死ぬとわかったときに思い出したくなるような人間になれれば。毎日飲む酒ももっと美味くなるんだろうな。

 

 

 

ドラマティック説教

 

夏の日の終わり、夕暮れ時にスーパーへ向かうとT字路に面した家からうっすらと線香の匂いが漂った。盆はもうとうに過ぎたのに、なぜ今さら。しかしそんな事を考えてもしょうがない。だけど考えてしまう。僕はそういう人間だし、そういう気持ちだった。

その日の午前も終わりに近づいた頃、僕はある人に呼び出された。その人はいつもとは違う強く、鋭い目つきでそれを隠そうともせずに僕を埃かぶったグランドピアノとイスと、あと強いて言えば静寂だけが残された空間へと連れ出した。イスに腰掛け少し間を置いてその人は尋ねた。いや、尋ねたというよりも尋問を開始した。

「君は一体何をしていたんだ」

もはやクエスチョンマークは付いていない。その人も分かっている。僕が何もやっていない事を。そしてその質問に答えられないことを。しかし、今日の僕にはこれに対抗し得る切り札があった。

「あのー、言い訳になるかもしれないですけど、盆の終わりからちょっと感染症にかかってまして大学に来て研究することは難しかったです」

まさかの返答にその人は少し驚いた顔をした。それを察して心の中でやった!と思ったのもつかの間。まるで線香花火のように。

「なんでそれを報告せんの?え?」

僕の計画はいとも容易く崩れ去った。ウサイン・ボルトが100mを走りきる前に崩れ去った。

「ただでさえ信用のない人間が報告を怠るとどうなると思う?」

「さらに信用を失うと思います…」

「君が僕の立場だと考えてみ?こんな人間のこと信用できる?」

「信用できないと思います…」

「じゃあなぜ報告を怠った?」

「……」

沈黙は流れる。流れた先に解決があればよいのだが、一度流れた沈黙が再びやってくるかのように永遠の時間の中を僕は彷徨った。究極的な"無"を避けたいがために僕はずっと考えていた。1番ご飯にかけて食べたら美味いドレッシングってなんやろ?とか。パトカーにウンコしてみたいなぁ…、とか。それでもその人は、教授は、尋問を続けた。そしてそれも気づけばすでに拷問へと変わり果てて行った。

「正直言って君の未来は真っ暗やわ」

「今のままでは会社に入ってもいい仕事なんか出来ないよ」

「君はとことんサボるよね。一体何をして生きてるの?」

ごめんよ、教授よ。そんな刺々しい言葉で僕の心を抉ったつもりでも意味無いよ。僕の心は此処に在らず。そんなことより教えてくれよ!1番ご飯にかけたら美味いドレッシングはなんなんだよ!パトカーにウンコしたらどうなるんだよ!!!教えてくれよ!!なあ!!未来は真っ暗ってどういうことなんだよ!?社会のレールから外れることが真っ暗なんか?お?いい仕事ってなんなんだよ!?いい仕事って!!!今のお前ができるいい仕事はいっぱいご飯にドレッシングかけることとパトカーにウンコすることやぞ!!少なくとも俺にとってはとっても!!!とってもいい仕事やぞ!!!

 

 


結局は全て価値観の相違。ベクトルの違う人生を歩んでいるものに違うベクトルの言葉を刺したところで刺せやしない。僕にとっては研究なんて無意味。ただ大学院卒の称号さえ手に入ればよいだけ。いい仕事?なにそれ美味しいの?仕事なんて金が手に入ればよい。それにおれは数年で仕事なんて辞めてやる。そんな中2めいた言葉が心の中で渦巻きながら僕は静寂の空間を後にした。教授の中では殺伐とした中で気持ちのいい説教を達成したつもりかもしれないが、夏の終わり、夕暮れ、T字路、線香の匂い、全ての歯車が噛み合った瞬間に僕の中ではドラマティックになってしまったんだ。人と人は分かり合えない。けれどもそれが正解だっていいじゃないか。線香の煙のように刺激を残して消えていけばいい。

 

 

理想的生活のすゝめ

 

 

なぜかは知らんけど(心当たりは大いにあるが知らんことにしとく)僕は大学の研究室の教授からあまりよくは思われていない。それはしょうがないかな、って思ってるしあからさまに"嫌いです"オーラ出してくれてるのはほんと有難いなとも思う。一番怖いのは笑顔で優しく接しつつも脳内では激しくディスり、そのくせ僕の悪い点や改善すべきところを見捨てる人だと思う。現状そんなことはないので、嫌われていても恵まれてんな、ということにしている。

そんなこともあってか僕は今やっていること(機械系の研究)は自分には向いてねーなとひしひしと痛感している。だけども金を稼がないといかんのでこれをもう少しは続けて就職したい、というかするしかねー。でもそんな人生を歩んだところでなんなんすかー?!って思う自分もいる。そのへんの思考回路をここ数ヶ月はループさせてはう~ん、と唸る毎日。思わずうんこ出そうになる。それにそもそも働くってなんやねん!、金を稼ぐってなんやねん!って世の中にツッコミを入れたくなってくる。

 


よく"給料に見合う働きをしろ"とか"働きに給料が見合ってない"というフレーズを聞く。よくよく考えてみれば給料の決め方なんてテキトーなんじゃねえの?って思う。例えば平均年収が400万とかなのもそんくらいあればそれなりの生活ができるからって理由だと思うし、仕事内容はそんな関係ないのでは?って思う。だから給料の全体的な上下に関与するのは働きぶりではなく"それなりの生活"の質の変動だと思う。そんなこと考えてたらますます真面目に働く意味ってないよなと思う。

そもそも金を稼ぐといったところで働くことで金を生み出しているわけではない。既存の金を循環させているだけに過ぎない。金を作ってんのは円であれば日本銀行という唯一無二の存在だ。決して一般的な労働者ではない。そういう現実がある限り、メイクマネーにたっぷり自信があり、金を持っている自分はすげーんだぞと高らかに宣言する意識の高い人(マジでやべーくらい金持っている人は別ね。いわゆる小金持ちのイメージ)が浅はかに思えてくる。世の中を循環するすべての金とそれを操る人々に比べたらそんなん微微たるものにしか過ぎんわ。それにお金を稼ぐには金の循環の流れに上手いこと身を置くことが一番だと思う。

具体的な例を出せば保育士みたいな教育者に流れる金というのは少ない。だからどんだけ保育士が頑張ろうとも稼げる金なんてたかが知れている。もしそもそもの流れる金が多ければ同じ労働量でも給料は全然変わってくるはずだ。たまたま保育士を例にあげたけどこれは日本の労働者階層では微々たる差はあれど基本構造は同じだと思う。だから仕事への努力の要因が金っていうのはなんか虚しいと思う。でも仕事なんて普通はやりたくねーから金貰わないとやってらんない。そんな矛盾が心の中でもやもやし続けてう~んと唸る。うんこも出そうになる。

 

 

 

もう十分便利なのに技術も発展してるのに労働時間は短くならないし、逆に長くなっていっているし、給料も増えねーし、やりたいことよりやらなきゃいけないことの方が圧倒的に多いし、やるせねー世の中な原因は資本主義とそれに伴う金だと思う。だからこんな現実に嫌気がさすならそこから離れて自分だけの世界を作ってしまいたい。究極的には自分で食べるものは自分で作り、自分でやりたいことは自分でやる。自分の墓ですら自分で作りたい。うんこもしたい。金も時間も関係ないところで生きていきたい。でもそれって縄文時代?だとしたら退化でしかねー。まあ、要は人類が発展すれば幸せになるなんておもっちゃいけないよーってことだね。そんなこと考えてますます研究のやる気が無くなる僕であった。。

 

 

(うんこを漏らさないようにするための技術は無限に発展してほしい。幸せになるかはわからんが、少なくとも世の中の不幸のほとんどは消える。)