置けもしないのに
なんだか最近はあらゆるモチベーションが下がっていて、全く創作意欲なるものが湧いてこない。去年の年末に本を出した満足感がずっと続いていて、でも、読み返すともっといいものを作れたよな〜っていう気持ちもあって。それに、最低でもあれくらいのレベルのものをまた一から作るのはなかなかしんどいし、普通に仕事も忙しいし。と、もやもやと思い続けていたので、ここ数ヶ月はずっと"眺める"ことをしていた。
25歳、独身。20時まで残業後に最寄りのスーパーで半額弁当を購入。帰宅後すぐにシャワーを浴び、髪を乾かしている間に弁当をレンジに入れる。数分後、机に座るとすぐさまテレビの電源を入れ、アマプラでウマ娘の続きを再生。少し温めすぎた弁当を吸い込みながら左手でスマホを操作し、ジマンスタグラムを眺める。今日一日の、誰かの日々の、誰かに伝えたかったことを眺める。よく知らないグラビアアイドルの不自然な巨乳と、興味のない広告に挟まれて。
結婚というものは、なかなかに険しい。久しぶりに会った結婚間近の友達や、長電話をした恋と金と孤独を折り合えない女友達の生々しい話を聞くに、やはりここは生中出しを敢行し、産声を聞かねば結婚というものはできないのでは?という風に思った。もう自由がなくなるから、とキャバクラ遊びをすることや、彼氏が欲しい車をレクサスからマツダに変更したことについて褒め称えることを結婚への道だというのなら、僕にはあまりに険しすぎる。だけど、そんなことを考えながら食べる半額弁当はなかなかに美味い。
今年の夏は去年ほど山には行けてはいないけども、なかなかいい景色と出会えた。北海道旅行で登った利尻富士や礼文岳。地元の石川県では白山。アルプスでは木曽駒ヶ岳や蝶ヶ岳。何よりも今年痛感したのは、山は登るよりも眺める方がいいんじゃないかってこと。利尻富士の山頂から眺める景色は綺麗だったんだけど、次の日に礼文岳山頂から見えた利尻富士の方がずっと響いた。白山に登った時も、その頂上からの景色よりも、西穂高からうっすら遠くに見えた白山の方が良かった。まだ槍ヶ岳は行ってないのだけど、いろんな山々から見えた槍の穂先の方が好きなのかもしれない。
利尻富士より
礼文岳より
木曽駒と蝶ヶ岳
うっすら遠くに見えるのが白山
たぶんこれとおんなじ話なわけで、誰かが幸せになったり、苦しんだりしてるのも遠くから見てた方がいいのだろう。それについては、インスタっていうのはあまりにも最適な距離感でして、めちゃくちゃ遠いのに近く感じるっていうか。まるで、あの巨乳にも触れるかのような。そうやって毎日人を眺めて自分と比較して、なんとなーく、もやっとした気分になって。あと最近なんかマルチ商法に沼ってるやつ多いなーとか思って。こんなのずっと見てるだけだと元から捻くれてる性格が、もっと歪になっていきそうなので。たまにはここで文章書いていこうかな、と思った次第でありました。
(ブルーレット置くだけを買って三日経つのにまだ置けてないです。置く、という行為はとてもハードルが高い。)